「契約の箱」の正体は究極兵器!?日本に眠る驚きの秘密とは?

ミステリー

始めに

紀元前15世紀から紀元前6世紀までの約1000年という長きに渡って、この世界には1つの不思議な箱が存在していました。純金で覆われたその箱は非常に美しく、中には神と人類が結んだ契約が収められています。その箱の上に神は時々自らの姿を現し、人類を教え諭し、導いたと伝えられています。

イスラエル人にとって大切な存在であった契約の箱

さらにこの箱は、敵の都市を一瞬で破壊したり、人類がそれを通じて神と通信したりするなど、様々な奇妙な力を持っています。「契約の箱」として知られているこの不思議な箱は、『旧約聖書』の中で何度も登場しており、古代イスラエル人に勇気や希望を与えただけでなく、人々を危機から救ったり、敵との戦いで勝利を収めたりして、イスラエル人にとって最も大切な存在の1つでした。

しかしいつの間にか、“神の象徴”とも言えるこの重要な存在は、なぜか行方不明になり、大きな謎だけがこの世に残されました。今回は、契約の箱にまつわる謎の分析と、日本が抱えている大きな秘密についてお話していきたいと思います。ぜひ最後までお付き合いくださいね。

旧約聖書

トトメス3世によって築かれたエジプト史上最大の領土

紀元前15世紀の古代エジプトで、「トトメス3世」という歴代でも屈指のパワーを手に入れたファラオ(王)が現れました。彼は多くの軍事遠征を行い、エジプト史上最大の領土を築き上げました。「契約の箱」が旧約聖書の中で最初に登場した『出エジプト記』というストーリーは、その時のエジプトが舞台でした。『出エジプト記』によると、幼い頃から王家でトトメス3世と一緒に育ったモーセという男は、神から、エジプトで奴隷として扱われているイスラエル人を約束の地へと導くという使命を受けました。

差し向けられた軍隊

しかし、ファラオはイスラエル人を自由にすることを許さず、幼馴染のモーセが王である自分に反する行動を取ったことに対し、激怒しました。その後、数多くの災いが相次いで国やファラオの身に起こると、これを神の怒りだと理解したファラオは、イスラエル人がエジプトから出ることを許しました。ところがエジプトを出た途端、ファラオは心変わりして、戦車と騎兵からなる軍隊を差し向けました。

割れた海の海底を歩いて渡るイスラエル人

海に追い詰められ、モーセを含めたイスラエル人たちは絶体絶命の状況に陥りましたが、モーセが手に持っていた杖を振り上げると、なんと海が割れて、人々は海水に覆われていない海底を歩き渡りました。後を追ってきたファラオ軍も同じく海底を歩いて進軍しようとしたら、割れていた海が閉じられ、ファラオ軍は全員海に沈みました。皆さんもこのストーリーをご存じだと思いますが、今回注目するのは、この事件の後に登場する「契約の箱」です。海を割ったモーセの杖よりも不思議なこの箱    の正体に迫っていきましょう。

出エジプト記

『出エジプト記』によると、イスラエル人はエジプトを出た後、神は光と化して空から彼らに進むべき道

モーセに与えられた「十戒」が書かれている2枚の石の板

を示していました。現代に生きる我々の知識で考えると、それはまるでUFOのような動きをしていたとも解釈できそうです。そして神は、イスラエル人たちがエジプトを出て3か月後のとある日に、大きな爆音と光を伴い、シナイ山で自分の姿を現しました。具現化した神は、「十戒」という戒律が書かれている2枚の石の板をモーセに与え、必ずそれらを指示通りに作った箱に保管するようにと命じました。ここで興味深いのは、神が指示した箱の作り方は非常に細かいということです。具体的には次の通りです。

細かな指示によって作成された契約の箱

①箱の素材にはアカシア材を使用し、長さは2キュビト半(約130センチ)、幅と高さはそれぞれ1キュビト半(約80センチ)、内側と外側を純金で覆い、周囲に金の飾り縁を作らなければならない。

②そして、金の環を4つ鋳て、箱の四隅に取り付け、アカシア材でできたさおを、金で覆い、箱の側面の環に通し、それで箱をかつがなければならない。

③さおは、箱の環に差して置き、それを抜き放してはならない。さらに、箱の上には、金で作った2体の智天使を乗せなければならない。

このような非常に細かい指示にしたがってモーセたちは箱を完成させました。

神は出来上がった箱の上にある2体の智天使の真ん中からたまに姿を現しますが、ほとんどの時間、モーセたちは契約の箱を特別に作られた「幕屋」の中に安置して、それを担いで目的地に向けてひたすら歩いていました。

担いで運ばれていた契約の箱

この移動生活において、「契約の箱」は常に人々が移動する前に先に運ばれ、次の場所で待機していました。人々が目的地に到着すると、箱はまたすぐに次の目的地へと先に出発します。また、聖書の記述によると、好奇心に負けた愚か者が移動中の箱に手を伸ばして触れると、その場で即死したと言います。その理由は、契約の箱に触れることが許されているのは、モーセを含めた数人の者だけだったからです。そして神によって指名された特別な人間も、箱に触れる際は必ず「聖なる服」というものを着ておかなければなりません。

崩壊したエリコの高い城壁

箱を携えた旅路で、約40年という歳月をかけて、ようやく彼らは約束の地にたどり着きました。しかし、約束の地であるカナン地方に入るためには、「エリコ」という都市を占領しなければなりません。エリコは高い城壁に囲まれており、攻略することは非常に困難でした。そこで神はイスラエル人に、契約の箱を担いで城壁の周りを6日間歩き、7日目に歩きながら笛を鳴らすように指示しました。イスラエル人は言われた通りにただ箱を担いで城壁の周辺を歩くと、なんと7日目になって本当に城壁が崩壊しました。

このような不思議な力を借りて約束の地に帰還し、しばらく平和な日々を送っていたイスラエル人でしたが 、その後またペリシテ人との間で戦争が起こりました。イスラエル人は戦争に負け、契約の箱まで奪われてしまいましたが、奇妙なことに、ペリシテ人が自分の領土に契約の箱を持ち込むと、箱が設置された都市では必ず疫病や不幸な出来事が起きてしまいます。その度に別の都市に移動させてみましたが、どこもかしこも例外なく災厄に見舞われます。ペリシテ人は仕方なく、呪いとしか思えないこの箱をイスラエル人のもとに返すことにしました。

ソロモン王によって建設されたソロモン神殿

年月が経ち、その後の古代イスラエル王国は3代目の王の「ソロモン」を迎えました。ソロモン王によって、イスラエル王国は最盛期を迎えたと同時に、エルサレムには「ソロモン神殿」も建設されました。この時から、契約の箱が幕屋からソロモン神殿の中に安置されるようになりました。しかしソロモン王の死後、王国は力を失い始め、最終的にはイスラエル王国とユダ王国の2つに分裂しました。その後、ついにイスラエル王国は滅亡し、ユダ王国はバビロニア帝国によって攻略され、数多くのイスラエル人が囚人として連れ去られた上、ソロモン神殿は破壊され、中にあった宝物も1つ残らず奪われました。

契約の箱の正体

旧約聖書には、神殿から奪われた宝物が数多く記されていますが、なぜか契約の箱は記載されておらず、他の文献にも、箱の行方を判明できる情報はありませんでした。このように、契約の箱は現在でも行方不明のままになっています。この大きな謎については様々な説があり、今回の動画でも箱の行方を探っていきたいと思っていますが、その前に、まずはそもそも、旧約聖書が記すような契約の箱などという代物が、現実世界においてあり得る存在なのかを考えてみましょう。

箱が実在したかどうか、その結論を出すために、先に箱の正体について科学的な検証を試みたいと思います。先ほどもお話しましたが、勝手に箱に触れた者は、神に打たれて死んだという記載が旧約聖書の中にありました。これは、箱が発した電流による感電死と解釈されることが多いです。もしその解釈が正しいとすれば契約の箱はコンデンサの機能を持っていると考えられます。

真実の目
真実の目

コンデンサは、電気を蓄えたり、放出したりする電子部品です。古代人が作った箱がそんな高度な機能を備えることはあり得ないような気がします。

ところが、契約の箱の構造はコンデンサと非常に似ています。どういうことかと言うと、コンデンサの構造は2つの導体の間に絶縁体が挟まれているのに対して、旧約聖書の記述によると、契約の箱は3つの層でできており、外側と内側は金、つまり導体、真ん中は木材、つまり絶縁体という構造になっているのです。神に指名された人間が着る特殊な服は、おそらく絶縁体で仕立てられており、感電を防いで、安全に箱に触れることができるものだと考えられます。

雷と関連付けられている理由は充電か?

ただ、それですべての説明がつくわけではありません。コンデンサは電気を放出する前に、まずは電気を蓄えなければなりません。契約の箱はどうやって電気を蓄えたのでしょうか。考えられる方法は2つあります。1つは雷による充電、もう1つは摩擦帯電による充電です。箱の上にある2体の智天使がそれぞれコンデンサの正極及び負極となることで、雷が箱もしくは箱の近くに落ちた時に、その膨大な電力を蓄えることができます。旧約聖書の記述の中で、契約の箱がよく雷と関連付けられている理由もここにあるのかもしれません。

「摩擦帯電」

もう1つの方法も考えてみましょう。まず「摩擦帯電」というのは、2つの異なる材質の物を擦り合わせることで、一方からもう一方へ電荷が移動する現象です。旧約聖書にあるストーリーから、契約の箱は常にイスラエル人に担がれながら移動していました。その移動の過程で、絶えず人間と箱の間で摩擦が起きています。もし契約の箱が本当にコンデンサであるのなら、移動中は常にコンデンサの充電が行われていることになり、もっと言えば、そもそも移動の目的自体が契約の箱の充電であったとも考えられます。

ここで、先ほどお話したイスラエル人がエリコを攻略する時の過程を思い出してみてください。

「契約の箱を担いで城壁の周りを6日間歩き、7日目に歩きながら笛を吹くと、城壁は簡単に崩れてしまった

今までの分析を念頭に、もう1度聖書に書かれているこの内容を味わうと、最初の6日間ただひたすら歩いていたのは、充電のためだったと解釈できます。そして、エリコの城壁を一瞬で崩壊させたのは、満タンになった箱がその膨大な電力を一気に消費して放った、恐るべき力だったのかもしれません。旧約聖書に記された様々なエピソードから考えると、この箱は雷による充電と摩擦帯電による充電の両方の機能を備えていた可能性があります。

特殊な服を着用して箱へ近づく

さらに、契約の箱が持つ力は、コンデンサだけではありません。ペリシテ人が奪った箱を都市に持ち込むと、腫れ物ができたり、髪の毛が抜けたりといった症状の疫病が市民の間で流行りました。このような現象は、放射線による被ばくと酷似しています。あらためてイスラエル人が契約の箱を扱う際の行動に注目すると、この説はさらに濃厚になってきます。契約の箱は、常に特別に作られた「幕屋」の中に安置されている。箱に近づけるのは指名を受けた者に限定されている。箱に近づく時は、必ず特殊な服を着用する。これらの行動は、現代の核施設における行動パターンと非常に似ていると思いませんか。

また、箱の上部に設置した2体の智天使の間に神が姿を現すというのは、明らかに通信機器の形状や機能と合致します。城壁を破壊する一撃、地域一帯を襲う放射性物質、高度な通信機能、これらを備えた契約の箱は、まさに究極兵器です。神から“取扱方法”を授かったイスラエル人は、箱とともに行動しても無事でいられましたが、何も知らず安易にそれを弄んだペリシテ人は、まさに自滅を招いてしまいました。その後、古代イスラエル王国は何らかの理由でこの究極兵器を失いました。国家の運命が大きく変わったきっかけもその損失にあったかもしれません。それでは次に、契約の箱の行方と、日本に隠された大きな秘密を見ていきましょう。

日本に眠る秘密

西洋を起源とする宗教に由来する契約の箱が、遠く離れた東洋の日本と深い関わりがある。まったくの見当違いとも思えるこの主張ですが、実は多くの“糸”が両者を繋げています。

構造の面で共通点を多く持つ神輿と契約の箱

日本の文化にある「神輿」は、神様の霊が鎮座する乗り物とされており、普段は神社にいる神様が、祭りの時に神社から出るために一時的に乗るものです。不思議なことに、神輿はあらゆる面から、契約の箱と非常に似ています。まずその外観は、両者とも四角い箱状の形をしており、色に関しても豪華な金色に覆われている点で共通しています。契約の箱の上には2体の天使がいるのに対し、神輿の屋根には一羽の鳳凰が飾られています。この2つからはかなり異なった印象を受けますが、それぞれの性質を照らし合わせてみると、天使と鳳凰は両者とも翼を持つ高貴な存在であり、神様の近くにいるという共通点も見出せます。

続いて、機能の側面も考えてみます。契約の箱は、神がそこで具現化して、モーセたち人間とコミュニケーションを取るための機能があります。それに対して神輿は、神様が神社から出る際、一時的に鎮座するためのものです。つまり両者とも、神が一時的に特定の場所に顕現するための“乗り物”です。その乗り物の移動の仕方に関しても、両者とも、箱に備え付けた二本のさおを人間が担いで移動させます。

さらに面白いのは、祇園祭などで神輿を担ぐ時の掛け声にまつわるお話です。皆さんも聞いたことがある「エッサ!」や「わっしょい!」という掛け声について、その意味と由来にはいくつかの説がありますが、その中の有力な説の1つに、これらの言葉がイスラエルのヘブライ語に由来しているというものがあります。「エッサ」はヘブライ語では「運ぶ」を意味し、「わっしょい」はヘブライ語では「神が来る」を意味するフレーズの発音に近いと言われています。

ただの偶然ではないかと思う方も多くいると思いますが、実はこのような言葉は他にもたくさんあります。イスラエルの首都の「エルサレム」はヘブライ語の発音では「イェルシャライム」になりますが、これは、京や都(みやこ)を意味する「イール」と、平安を意味する「シャローム」からできた単語です。日本における古代最後の宮都である「平安京」はこれとほとんど同じ意味の名前であり、そのほかにも儀式の様式や12の門を持つ都市の構造といった類似性を根拠に、平安京が「エルサレム」に由来しているのではないかとする意見もあります。

さらに、エルサレムには、“シオン”という地名があります。古代イスラエル王国の2代目の王であるダビデ王の墓がある場所も「シオンの丘」と呼ばれています。これに対して、京都にある「祇園」という地名は、この「シオン」に由来しているという説もあります。これらの説を知った上でもう一度京都の祇園祭を見てみると、奇妙な光景が見えてきます。

「祇園祭」は実は「シオン祭」であり、人々はその祭りで「エッサ!」や「わっしょい!」という「運ぶ」、「神がくる」を意味する掛け声を上げながら、「契約の箱」を象徴する「神輿」を担いで歩き回っている……

という光景です。

ただ、これが真実であるならば、古代イスラエル人がはるか東洋の島国である日本にやってきて、その文化に大きく影響を与えたということになりますが、そんなことがあり得るのでしょうか?先ほどもお話しましたが、ソロモン王の死後、王国はイスラエル王国とユダ王国の2つに分裂しました。イスラエル王国には十の部族があり、ユダ王国には2つの部族がありました。分裂から約200年後、イスラエル王国は敵によって滅ぼされ、同時に十部族の人々も歴史から消えました。そのため、彼らは「失われた十部族」とも呼ばれています。

その行方については様々な説がありますが、一部はアジアにやってきたという説もあります。中国の開封市には古くからユダヤ教の戒律に従って生活をしている部族がいます。彼らの祖先はまさに「失われた十部族」の一部と言われています。大陸の極東である中国に到達していたなら、さらに海を越えて日本にも来ていた可能性が大いにあります。そうであれば、日本文化に見られるイスラエル文化との類似点の数々にも説明がつくかもしれません。

さて、ここで肝心な契約の箱についても考えてみましょう。果たして、契約の箱も十部族の人々と一緒に日本にやって来たのか?実はそのような噂はすでに出回っており、徳島県の剣山か、伊勢神宮の内宮地下殿に、契約の箱が安置されているという説が存在しています。しかしいずれもあくまで噂レベルの話で、はっきりした根拠はありません。同じような噂話としては、契約の箱が現在、エチオピアにある「シオンの聖マリア教会」に安置されているという説もあります。

シオンの聖マリア教会

真実の目の見解

しかしそもそも、「契約の箱」自体が実在したかどうかに関しても意見が分かれているのに、まるでそれが実在したかのように語っているこの動画内容の根拠に疑問を抱く方もいると思います。その点に関して、最後にお話したいと思います。

今までこのチャンネルでは様々な異なるテーマについて語ってきました。それらの内容には1つの軸があります。すなわち、この宇宙に存在している文明は地球文明だけではなく、それぞれの文明は気の遠くなるようなレベルの差によって隔たれており、さらに言えば、そもそもこの宇宙もしくは世界すら、1つの仮想現実にすぎないということです。今回の契約の箱は、特にこの“軸”の前半部分、「文明のレベルの差」と関係している内容です。

「宇宙文明」の動画でもお話したように、現在ようやくレベル0.72となっている地球文明ですが、我々のこの文明は、かつてレベル4以上の文明によって作られたものです。契約の箱という超常的なアイテムも、それをモーセに作らせた“神”も、明らかに当時の地球文明の外からやってきたものです。レベル4以上の文明の存在を受け入れている僕にとっては、当然、旧約聖書に記されている「契約の箱」という物の実在も肯定されます。それが、僕が見ている世界、知っている世界の姿です。その一方で、ある人にとっては、「契約の箱」のような話はただの神話に過ぎません。またある人にとっては、部分的に参考にしたり、疑ったりする歴史の記録です。さて、次に皆さんがお神輿を目にするとき、その目には一体何が映るでしょうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました