謎の多すぎる巨石文明、地球には反重力技術を駆使できる文明が存在していた。 

ミステリー

はじめに

地球が誕生してからの46億年の長い間において、文字によって記録されている文明の歴史の長さは、僅か5000年から6000年しかありません。それ以前の時代の地球上では、どのような物が存在していて、何が起きていたのかについては、化石や古物から推測することしかできません。

しかし、これらの手段から得られる情報は限られており、恐竜が誕生する前の40数億年の間に起きていたことはともかく、今からたった数万年前の歴史でさえ、ほぼ何も分かっていません。我々は現在の一般常識から、現代人類が最初に文明を地球に築き上げたと思っています。

しかし、今まで発見された一部の遺跡や古物は、その固定観念を覆しています。科学界はこれらの存在の解釈を避けているようにも感じられますが、科学者たちの心境も分からないものではありません。なぜなら、一部の遺跡は本当に不思議な存在で、現在の人類の科学技術でも再現しにくいものだからです。今回は、その中でも特に謎の多い巨石遺跡を紹介したいと思います。ぜひ最後までお付き合いくださいね。 

プマプンク遺跡(ボリビアとペルーの国境)

プマプンク遺跡

ブラジルの南の、ボリビアとペルーの国境の境目に位置する標高3,800 mの場所に、プマプンク(Puma-Punku)という古代遺跡があります。考古学者はプマプンク遺跡が形成されたのは、今から約2000年前だと考えていますが、現地の住民の間で広がっている物語では、プマプンク遺跡の形成は17,000年前の紀元前15,000年という推測結果もあります。

遠く離れた場所から運ばれてきた数多くの巨石

遺跡内にある数多くの巨石

この遺跡の面積はサッカー場約20個分もあり、中には数多くの巨石が内在していて、大きいものは、縦7 m、横5 m、厚さ1 m、重さ130トンにもなります。これらの巨石に含まれている鉱物の粒子から、すべての巨石は10 km~100 kmの離れた場所から現在の場所にまで運ばれてきたことが判明しています。

現在の技術でも、重さ100トンの物を100 km離れた標高3,800 mの場所に運ぶ手段は限られています。しかし、数千年もしくは数万年前の人たちはどのようにしてこれらの巨石を一か所に集めたのかについては、様々な仮説がありながらも、どれも完璧なものではありません。

硬度の高い安山岩であった

さらにどのように巨石を運んだのかの方法よりも、もっと多くの謎が巨石自体に隠されています。この遺跡にある巨石は普通の石よりずいぶん硬いため、ボリビア軍は1940年代までにここを射撃訓練場として使用していました。その後、研究者たちは一部のサンプルを持ち帰ろうとして、ハンマーなどで巨石を潰してみましたが、その異常な硬さから、十分な量のサンプルを獲得することが出来ませんでした。そのため、機械の力を借りていました。

大理石よりも硬い安山岩と判明

現代技術でも難しい加工

持ち帰ったサンプルを研究室で分析した結果、これらの巨石の材質は、大理石よりも硬い安山岩だということが分かりました。安山岩はモース硬度7もあり、現代でも非常に加工しにくい岩石で、安山岩をカットできるのは、モース硬度10のダイヤモンドカッター、もしくはレーザーカッターのみです。

角は正確に90度となっている

次に、安山岩の硬さを知っていただいた上で、プマプンク遺跡にある巨石の形を見てみましょう。これらの石のほとんどは真四角の形をしており、角はきっちりと90度になっています。

滑らかに開けられた穴と無数の数ミリの穴

更に、このような大きく丸い穴が開けられている巨石もあり、穴の内側も滑らかです。そのうえ、直径数ミリの小さい穴もいくつかの石に存在しており、現代の技術であれば、安山岩にこのような穴をあけようとすると、ダイヤモンドドリルを使うしかありません。しかもこれだけでなく、穴よりももっと複雑なパターンもこれらの巨石に存在しており、その加工方法も謎です。

焼き跡が観察されたレーザーカッターでの加工

研究者たちはこれらの謎を解くために、遺跡から収集したサンプルをダイヤモンドカッターとレーザーカッターで実際に加工してみました。しかし、ダイヤモンドカッターで加工された断面にはカッターによるこすり傷、レーザーカッターで加工された断面には焼き跡が観察されたのに対し、遺跡の石の断面からはこれらの痕跡はまったく観察されませんでした。ですので、当時この遺跡を作った者たちは、現代の技術とは異なる方法で巨石を加工したはずです。

製造ラインで量産されたようにもみえる巨石群

また、これらの巨石は形が重複する物も多くあり、何らかの製造ラインで量産されたものにも見えます。最終的に、研究者たちは巨石の加工方法についての解釈への探求をほぼ諦めてしまいました。なぜなら、素人よりも遥かな専門知識を持っている彼らだからこそ、プマプンク遺跡を作った技術は現代の科学技術を超えていることをよく理解しているからです。

冒頭で、現地で広がっている遺跡に関する物語を少しお話しましたが、その物語の具体的な内容としては、17,000年前には、身長の高い巨人たちがこれらの巨石を運んできたと言われています。しかし巨人たちは自分たちの力や道具などを使っていなく、石は全て空から飛んできたそうです。

「フエンテ・マグナの皿」

一見どの民族にもある普通の神話のようですが、1958年にプマプンク遺跡の近くで、一つの容器が出土されました。この容器は数千年前に作られたものだと推測され、「フエンテ・マグナの皿」と名付けられましたが、研究者たちが注目したのは皿自体ではなく、その内側に刻まれている文字です。

シュメール文明の文字と高度に一致している

これらの文字は、シュメール文明の遺跡で見つかっている楔形文字と高度に一致しています。シュメール文明は人類の中で最も古い記録を歴史に残した文明で、彼らの神話に存在する不思議な力を持つ「アヌンナキ」は、現代に渡って広く知られています。プマプンク遺跡の近くでシュメール文明の文字を発見したということは、プマプンク遺跡で広がっている伝説に存在する巨人たちは、実はシュメール神話に存在するアヌンナキと同じ存在だということを意味しているかもしれません。

発見された複数の巨石文明

では、巨石文明の話に戻りたいと思います。もし17,000年前に、巨石を運び、加工できる高度な技術を保持している誰かが本当に地球上に存在していたのであれば、彼らの技術によって造られた物はプマプンク遺跡以外にも地表に存在するはずです。

「バールベックの巨石」(レバノン)

実際探してみたところ、そのような遺跡は多数見つかりました。 例えば、レバノンにあるバールベック市に、「バールベックの巨石」と呼ばれる遺跡があります。この巨石は縦19.6 m、横は6 mほどあり、重さは1,650トンもあると推測されています。この巨石は2000年ほど前のローマ帝国が神殿を建設するために加工された材料で、加工が終わった後にそれを移動する手段がないため、そのまま放置されたと研究者たちは最初に推測しています。

真実の目
真実の目

現代のクレーンでも、吊り上げ荷重は上限が200トンの物がほとんどで、それ以上の重量を吊り上げられるクレーンは限られています。ですので、バールベックの巨石に関する推測は筋の通ったものだと最初は思われていました。

加工された2つの巨石

その後、バールベック市で似たような巨石が2つ発見されました。2つの巨石はどちらも加工されており、重さはそれぞれ1,000トンと1,200トンです。

ここである問題が生じます。もし最初に巨石を1つ加工して、その後に運べないことに気づき、巨石をそのまま放置したのであれば、1つ目の巨石の近くでさらにもう2つの巨石を加工するのは、筋が通っていません。仮に3つの巨石が同時に加工されていたとしても、最も小さい1,000トンの巨石の加工が最初に終わるはずで、その時に1,000トンの重さを運べないことに気が付くはずです。それなのに、1,600トンの巨石の加工が完了しています。これも筋が通っていません。

真実の目
真実の目

ですので、この3つの加工された巨石がそこに放置された理由は、ここで加工された他の巨石は全てどこかに運ばれ建築に使われ、最後の3つは使い道がなくなったため、そのまま放置されたのだと思います。

現代でも運ぶことが困難な1,000トン以上の巨石を、2000年前の人々はどのように運んだのでしょうか。これは、17,000年前に存在していたプマプンク遺跡を形成した技術が、一部伝承されたという可能性が考えられます。

これは決して根拠のない推論ではなく、ローマ帝国より数千年前に建てられたピラミッドも、この技術を利用していた可能性もあります。

既に明らかになった事実ですが、ピラミッドを構成する全ての巨石は、約200 km離れた場所から運んできたものです。これらの巨石の移動手段を解明したという研究者は多くいますが、実際のところは、どの仮説にも腑に落ちない点があります。

ストーンヘンジ(巨石の重さは数トンから数十トン)

また、あの有名なストーンヘンジは、紀元前2500年くらいにたてられたと考えられており、巨石の重さは数トンから数十トンもあります。

硬い花崗岩でできた約200個の石球(大きいものは重さ25トン)

コスタリカで発見された約2000年前に作られた約200個の石球の材質は硬い花崗岩で、大きいものは重さ25トンもあり、その形は誤差数ミリメートルの球体になっています。

イースター島にあるモアイ像(大きいもので90トン)

イースター島にある巨大なモアイ像も、大きいものは90トンにも達しています。

これらの物はとても数千年前の人たちが作り、運べる規模とは思えませんが、この巨石を操れる不思議な力は、近代にまで伝承されているようです。

 

コーラル・キャッスル(フロリダ州)

アメリカのフロリダ州に、コーラル・キャッスルという観光名所があります。キャッスルの敷地面積は6600平方メートルあり、中には200個近くの石で構成された様々なオブジェクトがあります。石は小さいものは重さ5トン、大きいものは58トンもあり、全ての石の総重量は1000トンにも達しています。先ほど紹介した遺跡と比べるとかなり規模が小さいですが、不思議なことに、このキャッスルはたった一人の力で建てられたそうです。

キャッスルの建設者は1887年にラトビアで生まれたエドワード・リーズカルニンという人物で、彼は30代の頃にアメリカに移住し、フロリダ南部に定住しました。それから彼はキャッスルの建設を始め、数多くの巨石を500 kmも離れた場所から敷地にまで運んできましたが、トラックで運ぶ際に、彼は必ずドライバーを一回帰らせていました。次にドライバーが戻ってきた時には、巨石は既にトラックに積まれていました。エドワードが工事を実施する時間も、ほとんど深夜の時間帯でした。

エドワードによって書かれた「Magnetic Current」

キャッスルが有名になった後、エドワードは何度も新聞やテレビの取材を受けましたが、彼は巨石を積み上げた手法や、巨石を移動した手法を一度も具体的に説明することはありませんでした。彼は生前に「Magnetic Current」という51ページの自ら書き上げた冊子を残しています。その中で、磁気や磁流についての彼の見解が書かれていますが、そのほとんどは「物体に流れている磁流を目で見ることができる」、「物体にエネルギーを注入すればその物体を動かせる」などの意味不明な内容でした。

痕跡が消えにくい石でできた構造物

エドワードが使用した技術が巨石遺跡を形成した技術と同じかどうかは不明ですが、古代文明に共通して見られる巨石文化の存在は確かなものです。仮に現在地球上で生きている人類が全て同時に消えたとしたら、長い年月が経ったあと、ほとんどの人工物の痕跡は地表から消えると言われています。最も痕跡が消えにくいのは単純な石で出来た物だそうです。

もし現在の人類が地球の最初の文明でなければ、私たちの先輩が築いた文明は、自分がこの星に存在していたことを後輩に伝える手段の一つとして、規模の大きい巨石遺跡を作ったのかもしれません。ですので、先代文明の人たちが苦労して作った遺跡を我々現代人類が発見しても、その存在を認めたがらないと知ったら、彼らは悲しく思うかもしれませんね。

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