「地球刑務所仮説」、地球人は実は宇宙の刑務所にいる?

ミステリー
今回のポイント
  • 地球は本当に宇宙の刑務所なのか?
  • 私たち人類は本当に宇宙の囚人なのか?

はじめに

私たちがいるこの綺麗な青い星、実は宇宙の中の刑務所である。この星にいる人間を含む全ての生物は、宇宙の囚人である。

これが「地球刑務所説」という仮説が提唱した内容です。またとんでもない仮説を持ってきたなと思われているかもしれませんが、今まで紹介した幾つかの仮説と同じく、「地球刑務所説」にも、それを支えるロジックがあります。今からそのロジックの紹介も含めて、地球は本当に宇宙の刑務所なのか?私たち人類は本当に宇宙の囚人なのか?を考察していきたいと思います。今回は普段より少し暗い内容だと思いますので、少し心の準備が必要かもしれません。それでは始めましょう。

地球は命の奪い合いの場である

ほとんどの人が気にしていない、もしくは気づいていないかもしれませんが、この地球は生命にとって、非常に残酷な場所です。「命が平等だ」という前提で地球を見てみると、生命がこの星に誕生した時点が、不幸の始まりだと言っても過言ではありません。

地球における全ての動物が、食べ物を食べないと、生きていけません。当たり前の話ですが、一つ踏み込んで考えてみてください。人間を含む動物たちが食べているのは、何ですか?あなたが昨日食べたリンゴ、お米、お肉、あなたのペットが先ほど食べたおやつ、サバンナにいるライオンやハイエナが食べているもの、それらは全て「命」です。つまり、地球という星で誕生・進化した動物たちが、自分の命を維持するために、必ず他の動物や植物の命を奪わないと生きていけません。

人間の世界においては、「命は平等だ」という類の言葉があります。それは、命が人にとって最も大事なもので、命を落とさないことが、一人の人生における最も優先順位の高いことだからです。動物たちにとっても、それは同じです。いくら知恵が低い動物でも、大自然の中で命を落とさないために、どんなことでもやりますし、捕食されないために、種族全体が頑張って進化しています。

逆に、より多くの命を奪うために、動物たちはどんなことでもやりますし、より効率よく命を奪えるために、種族全体が頑張って進化し続けています。なんでも簡単に手に入る我々人類にとって一生に一度も体験できないことかもしれませんが、たった水を一口飲むのに、動物は命を懸けなければなりません。生まれて目も開けていないのに、捕食されるかもしれません。昨日まで元気に走っていたのに、怪我をして獲物が捕らえなくなり、すぐに餓死するかもしれません。

美しく見えるこの大自然は、実は最も大切なものである「命」の奪い合いの場です。その場を提供したのは、地球という星です。他の星にも、もし命が誕生していて、知恵の持つ動物がいるのであれば、彼らはもしかしたら地球の植物のように、太陽光とその星の大気だけで、生命を維持するための十分なエネルギーを獲得出来ているかもしれません。その星においては、命の奪い合いという残酷なことはないのかもしれません。もっと言えば、そもそも他の星の生命体は意識だけの存在で、肉体に依存していないのかもしれません。

「地球刑務所説」とは

これと似たような考え方は、アメリカの生物学者のエリス・シルバー博士も持っています。実は「地球刑務所説」の発端は、このエリス博士です。

博士によると、本来であれば、人類が地球上でもっとも進化した生物であれば、人類はどの種族よりも、地球の環境に適合しているはずです。しかし実際のところ、人類の体は地球環境にそれほど適合していません。例えば、動物界において、体のサイズが大きい動物であれば、ほとんど四足歩行です。なぜなら、地球の重力のもとで、体のサイズがある程度大きくなると、四足歩行が最も体に負担が少ない歩き方だからです。

しかし、人類だけが他と違っていて、体が大きいのにも関わらず二足歩行です。さらに、四足歩行から二足歩行に変わるのは、進化の過程において徐々に起きるものだと思われていましたが、アフリカで生まれた初期の人類である「アウストラロピテクス」の化石から、彼らは400万年前から既に二足歩行ということが分かっています。

以前の投稿でも言った通り、これらの霊長類は、進化の過程を省いたように突然地球上で現れました。また、人類は二足歩行と地球の重力に適していないせいで、腰痛という生理現象が起きます。このような生理現象は、地球上において人類にしか起きないとエリス博士が主張しています。

さらに、人類の皮膚は、長時間に太陽光に晒されると傷がつく構造になっていること、人類の自然分娩が非常に難しいこと、多くの人が数多くの慢性病気を患うことから、エリス博士は、人類はどう見ても地球環境に適していない、どこかの別の場所から来た種族だと主張しています。博士が考えた一つの可能性としては、

私たち人類は、数百万年前から、誰かによって地球という刑務所に送り込まれた囚人

だということです。

「苦しみ」「痛み」を感じる肉体に禁固された意識

食物連鎖の頂点に立った人類だが、、

先ほども言ったように、地球上における動物たちのエネルギーの獲得手段は、太陽光や大気からではなく、ほかの動物や植物を食べることです。これによって食物連鎖が存在し、人類はこの連鎖の頂点に立っています。既にその残酷な命の奪い合いから脱出していることから、別に人類は何も「宇宙の囚人」の要素がないと思うかもしれませんが、人の人生がいくら幸せだとしても、意識が肉体の中に禁錮されている以上、それが幸せとは言い切れません。

なぜなら、私たちの多くの悩みや苦しみは、肉体からきています。体の病気による苦しみ、愛する家族との死別、自分の命の最期に感じる絶望感と体の痛み、これらは全ての人が人生において経験すると思います。これらの経験による辛さは、どれでもほとんどの喜びの程度を超えているかもしれません。

また、食物連鎖から脱出しているとは言え、この競争の激しい人間社会は、根本的には弱肉強食に従って動いています。生きていくために、どんな嫌なことでもしている人は存在しますし、自分の利益のために、どんな嫌なことでも他人にさせる人も存在します。例えそれで他人が命を落としても、自分の知ったことではありません。

表向き、人類は食物連鎖から脱出していますが、事実上、また別の残酷な連鎖の中に入っています。私たちがこの世界に来る前に、「その世界に行きたいか?行きたくないか?」という選択の権利がありませんでした。既にこの世界に来た人にその質問をし、「もちろん来たい!」と答える人でも、その後の人生におけるいつかの時点で、彼から全く違う答えが返ってくるかもしれません。

これらの人生における多くの苦しみは、意識が肉体の中に存在しているから起きたものが多く、もし私たちが意識だけの存在であれば、ほとんどの苦しみがなくなるかもしれません。肉体と高度な知恵を同時に持つと、ほとんどの人間は肉体がもたらす欲にコントロールされてしまいます。成功したい、もっとお金を稼ぎたい、幸せな家庭を築きたい、健康でいたい、どれも少しでも欠けたら、人はすぐに落ち込みますし、悩みを感じます。逆に全てを満たしたとしても、人はまたすぐにその上を求めます。人間の欲は、底なしの穴です。

真実の目
真実の目

僕自身でも、先ほど言ったような、他の命を奪う行動が残酷で悲しいことだと思っているのにも関わらず、先ほどの晩ご飯も肉を食べましたし、明日の昼ご飯も肉を食べるでしょう。なぜなら、僕の精神はこの体の欲に勝てません。動物の苦しみを理解しながらも、肉を食べたい欲が抑えられないのも、ある種、欲だらけの肉体と高度な知恵を同時に持つ人間しか味わわない苦しみの一つです。

真実の目の見解

本題の「地球刑務所説」に戻りますが、仮にこの仮説が正しいのであれば、一体誰が何のために私たちを地球に閉じ込めたのでしょうか?ここからはいつものように、SF小説として聞いてください。

もし宇宙における生命体の存在する形が、肉体のない意識体であれば、意識体が空間と時間の中を自由に行き来できる上、いくつかの異なる次元までにも行き来することができます。これについては宇宙文明の動画や投稿でもお話ししました。では、これらの意識体から自由を奪おうとする時、あなたならどのような方法を使いますか?

意識を肉体に閉じ込めることによって自由を奪う

私たち人間社会において、人から自由を奪うときは、その人を牢屋に閉じ込めて、彼の空間における移動能力をなくすことで彼の自由を奪います。しかし、意識体は空間だけではなく、時間と次元においても自由に移動できます。このような意識体から、空間、時間、次元における自由を全て奪う方法は、その意識体を実体の持つ肉体に閉じ込めることです。

意識体を肉体に閉じ込め、ある惑星に送り込めば、彼らは重力でなかなか星から離れることが出来ませんし、離れたとしても、宇宙空間においては、その肉体は長く生きられません。これで空間における移動能力を奪うことが出来ます。

肉体を持つ限り過去に戻ることは不可能である

次に時間において、肉体たちは未来という一つの方向へしか移動することができません。肉体を持つ限り、過去に戻ることは実現できません。次元においても同じく、肉体がある限り、三次元以外の次元には進入できません。肉体に禁錮されることで、意識体として存在していた生命体にとっては十分に残酷な罰なのに、その罰を下した誰かが、肉体たちの生活環境を、お互い命を奪い合わないと生きていられない環境にもしました。

意識体が肉体に閉じ込められることは懲罰である

では、これらの意識体はなぜこんなにも酷い罰を受けたのでしょうか?一つの可能性としては、懲罰が原因です。私たちの人間社会の懲罰と同じく、罪を犯した意識体が受ける罰は、肉体に閉じ込められることです。

しかし、もし地球人が、罰を受けている意識体であるならば、地球における人口の数とその成長スピードから、罪を犯した意識体があまりにも多い気がします。従って、もう一つ考えられる可能性は、戦争です。異なる高度な文明の間にも戦争が起きていて、敗者の文明の意識体たちは、勝者によって肉体に閉じ込められ、地球という残酷な場所に送り込まれた。

いずれの可能性も、なぜか宗教において、「地球刑務所説」と似たようなストーリーが存在します。仏教の最も古い経典である「阿含経(あごんきょう)」によると、この世界には四大洲(しだいしゅう)が存在します。四大洲はそれぞれ、南贍部洲(なんせんぶしゅう)、東勝身洲(とうしょうしんしゅう)、西牛貨洲(さいごけしゅう)と北倶盧洲(ほっくるしゅう)と呼ばれています。南贍部洲に関する描写は、私たちのこの人間社会、つまりこの地球で起きていることと一致しています。しかし残りの三大洲に関する描写は、世界のどの国や民族のことでもありません。具体的に、南贍部洲(なんせんぶしゅう)以外の三大洲の住民は、寿命が短いものでも250歳、長いものであれば、1000歳にまでなります。その三大洲の住民たちは、生活にまったく苦しい様子がなく、無限に近い資源、平和すぎる生活、欲のない心など、どの点においても、南贍部洲(なんせんぶしゅう)の環境を遥かに超えています。

過度な解釈かもしれませんが、これは地球を含む4つの星の生活を描写したものかもしれません。その中で、地球における住民が、最も苦しい生活をしているようです。また、旧約聖書に出る堕天使の一団には、「Watcher」という名の天使たちが存在しています。その名前の意味も文字通り「見張る者」です。

旧約聖書によると、見張る者たちは、地上の人間が禁じられた知識、例えば武器の作り方などを地上の人間に教えました。その結果、地上には様々な悪行が蔓延ることになりました。

また、サイエンスにおいても、「地球刑務所説」と関連するものがあります。人類は既に百年近く地球外生命体を様々な手段で探してきましたが、現在でもはっきりした地球外生命体が存在する証拠を見つけていません。惑星の数から、宇宙人は絶対に存在するはずなのに、そのような形跡はなかなか見つかりません。この膨大な星の数と、地球外文明の証拠が見つからない事実の間にある矛盾を、物理学者のエンリコ・フェルミが最初に指摘し、その後、この矛盾が「宇宙人はどこですか?」というフェルミのパラドックスと呼ばれるようになりました。

物理学者のエンリコ・フェルミ

フェルミのパラドックスに関する解釈、つまり「宇宙人はどこですか?」という質問の答えは多数あります。それについては一本のブログと動画にまとめるつもりですが、「地球刑務所説」が、そのうちの一つの答えです。つまり、私たちを地球に閉じ込めた誰かが、私たちを他の文明とコンタクトさせないようにしています。私たちがいくら頑張っても、彼らが作ったこの牢屋の外の世界には行けませんし、外の世界を観察することすら許されていません。

最後に

もちろん、地球刑務所仮説も、僕のこれらの考察も、あくまで仮説です。あまり真剣に信じ込まないでください。このブログで投稿している内容やYouTubeの動画の目的は視聴者の皆様たちの好奇心を引き起こすことです。

この世界に来て良かったという人もいれば、なぜ勝手に私をこの世界に連れてきたんだという人もいます。しかし既にこの世界に生まれた以上、私たちは生きていくしかありません。今の人生が終わったら、何かが私たちを待っているかもしれませんし、何もないかもしれません。もしそれが後者の場合、最終的に意識も肉体とともに消えていくのであれば、今の内にできる限りのやりたいことをやっていくのは、最も賢い生き方かもしれません。

コメント

  1. コフマンえみ より:

    はじめまして。
    ユーチューブでの動画と共に、こちらのサイトも楽しませていただいております。

    色々と勉強させていただくことが多いのですが、時にとても共感できる内容のものもあり、今回の”地球監獄説”は、そのうちの一つです。

    私はヨーガを6年近く実践していて、4年ほど前から経典を色々読んで知識を深めていくうちに、魂は肉体に閉じ込められている、という言葉がよく頭の中に浮かび上がります。
    私たちが持つ5感は、喜びや心地よさを感じさせてくれる一方で、苦しみや悲しみの元ともなっています。これらの5感によるトリックが私たちを物質体として認識させていることに気がつき、それを手放す訓練(とても難しいです)を積み重ねていくうちに、肉体の中に閉じ込められている ”何か” に近づいていけるように思いはじめた頃から、魂が閉じ込められている、という言葉が浮かんできたり、またエーテル体的な現象を、植物が発している光景を見たりするようになりました。

    あまり上手く話がまとめられませんが、この肉体を地球に置き換えてみたら、今日のお話もとても共感できる内容だと思いました。

    これからも、人々の好奇心をくすぐる発信を、陰ながら応援させていただきます。
    ありがとうございました。

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