科学の終点は神学なのか?なぜ多くの物理学者は老後に宗教を信じ始めたのか?

世界の真相

はじめに

私たち人類は数千年前から、この世界に存在する様々な現象を研究し、その裏に隠されている法則性を解明しようとしています。その探求の仕方は時を経て、大昔の占星術などの占いから、近代のサイエンス、つまり自然科学という手法に変わりました。数学、物理学、化学などの学問は、多くの自然現象の裏に存在するロジックを明らかにし、さらにこれらのロジックの規則性から、未知の現象の予測にまで実現しています。

ここ数百年間だけで、人類は「なぜリンゴが落ちてくるのか」の謎から、相対性理論、量子力学、超弦理論などの領域にまで足を踏み入れました。しかし、一部の物理学者は、なぜか老後になってから、神や創造主などの、神学や宗教と関わっていそうな理論を信じ始めました。これらの理論は、一見科学と真逆のようにも見えます。科学者たちは年を取ってからなぜ自分の考え方を180度も変えたのでしょうか?「科学の終点は神学」という言葉は、本当に合っているのでしょうか?今回は、科学と神学について考えていきたいと思います。この投稿は宗教を宣伝するための動画ではありませんので、安心して最後までお付き合いください。

物理学者と宗教

信仰心の強い物理学者

まず、宗教を信じている有名な物理学者を何人か紹介しましょう。近代物理学者のうち、古典力学の父であるアイザック・ニュートン、「ケプラーの法則」を提唱した天体物理学者ヨハネス・ケプラー、電磁気学分野の大御所であるマイケル・ファラデーとジェームズ・マクスウェルは、全員深く宗教を信じています。他の彼らほど有名ではないたくさんの科学者達も当時から宗教を信じていました。

真実の目
真実の目

信仰心の強い科学者たちがここまで人数が多い理由は、これらの科学者が生きていた時代は、宗教を信じて当たり前の時代だったからです

では、現代の物理学者はどうでしょうか?聞いて驚くかもしれませんが、1901年から2000年までの間のノーベル物理学賞受賞者のうち、65%は何らかの宗教を信じています。例えば、1918年のノーベル物理学賞の受賞者、量子力学の創始者の一人であるマックス・プランクは、創造主の存在を深く信じています。他にも、1957年のノーベル物理学賞の受賞者で、「パリティ対称性の破れ」を提唱した理論物理学ブツリ学者も、老後になってから創造主という存在を信じるようになりました。

物理学者 楊振寧(ようしんねい)の発言

しかし、彼らが信じている創造主というのは、神話や伝説に存在する人格を持つ神ではなく、この世を作った何らかの自然の力のようなものです。それがどのような物なのかは理解しにくい部分もあると思いますので、まずは楊振寧のあるシンポジウムでの発言を見てみましょう。

楊振寧
楊振寧

「神は存在しているのか?」と聞かれると、人の形をしている神様は存在していないと思います。でも、「創造主は存在しているのか?」と聞かれると、私は、存在していると思います。なぜなら、この世界の構造は、偶然なできものではないからです。例えばマクスウェルの方程式は、言葉で言い表せないほど不思議です。

私はこれが偶然にできあがったものだとはとても思えません。偶然ではここまで極めたものを仕上げられません。私は20代の頃、創造主などの概念に対して不信感を抱いていました。しかし年を取っていくにつれ、数多の不思議なものを見てきました。その結果、私は自分の力でこれらの現象を解明できるとは思わなくなってきました。

ここで少し楊振寧の発言を考察してみましょう。もし発言にある通り、この世界に創造主が存在するのであれば、私たちがいるこの宇宙の誕生と存在は、偶然なできごとではなく、なんらかの意識によって作られた物になります。その意識が、マックス・プランクや楊振寧が思っている創造主です。

Check

物理学には「熱力学第二法則」という法則があります。この法則はエントロピーの増大則を示し、外部から干渉を受けていなければ、物事はカオスな状態から秩序のある状態に変えることはできないということを意味します。例えば、腕時計を構成する全てのパーツをコップに入れて数億年間攪拌しつづけたとしても、これらのパーツは高度な秩序を持つ時計という形にはなれません。また、私たちが使っているスマートフォンは、たとえ十数億年の期間を与えたとしても、大自然の中で偶然に起きた化学反応と物理反応によって全てのパーツが誕生し、その上これらのパーツが偶然に一か所に集まり、偶然に組み合わせて一つのスマートフォンになることはありえません。

つまり、時計やスマートフォンのような高度な秩序を持つ存在は、人間が意識的に作らないと、誕生できない存在なのです。しかし、生命体の構造はスマートフォンなどよりも数万倍も複雑です。現在の科学技術では、最も簡単な構造を持つ生命体であるウィルスですら、それを構成する全ての原料が提供されたとしても、人類は原料からウィルスの個体を作ることはできません。ですので、生命体は大自然の中で起きた様々な反応によって偶然に出来たものだという現段階の常識は、とても考えにくいものです。

真実の目
真実の目

従って、この理屈を素人よりもっと深く理解できている科学者たちの中に、創造主という存在を信じる人がいても、納得がいきますよね。ここでもう一度強調したいのですが、この投稿で言及している「創造主」というのは、人の形をしていて、人格を持っている神話や宗教の中で出現する創造主のことではありません。ここで扱う「創造主」は、この世界、この宇宙を形成した何らかの力もしくは意識のことです。

宇宙の不思議

別の宇宙が存在する確率

多くの人は気づいていないと思いますが、私たちが生きているこの宇宙の誕生と存在は、どの奇跡よりも不思議です。例えば、2020年のノーベル物理学賞の受賞者であるロジャー・ペンローズは、宇宙の誕生について次のような発言をしたことがあります。

「ビッグバンによって、一つのブラックホール宇宙(宇宙の全てが一つのブラックホール)が誕生する確率は、現在の宇宙が誕生する確率より、10の300乗倍も大きい」

つまり、ビッグバンが10の300乗回も起きた時に、現在のような宇宙がたったの1回だけ誕生するということです。逆に、もしこの確率が正しいのであれば、ビッグバンが10の300乗回、もしくはそれ以上に起きていたことを意味します。そして、私たちの宇宙のような別の宇宙も存在しているかもしれません。これについてはまたパラレルワールドについての動画で詳しく語るつもりです。

存在する宇宙の形 -物理定数

次は宇宙が現在のような形で存在している確率も見てみましょう。物理法則を表している様々な物理公式に、値が変化しない物理定数というものがあります。私たちの宇宙におけるこれらの定数は、ちょうど良い値にあるので、この世界が現在の形になっています。しかし、無数存在する公式の中の一つの公式の定数が少しでも現在の値と違ったら、世界は別の形になるどころか、物質を構成する原子でさえ存在できなくなるかもしれません。

真実の目
真実の目

仮にビッグバンによってブラックホール宇宙ではない宇宙が誕生したとしても、その宇宙において、必ずしも星や生命などが誕生できるわけではありません。つまり、私たちが生きているこの宇宙の誕生と存在が偶然なできごとだという確率は、0に近いと言っても過言ではありません。

物理学者が持つ考え「創造主解釈」

このことから、一部の物理学者がこの問題と直面した時に、宇宙の誕生が意識によるもの、つまり創造主が存在するという考え方を持つようになりました。もちろん、「創造主解釈」と異なる考え方も多数存在します。例えば、「人間原理」という理論がありますが、これは「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を主張しています。また、先ほども言及したパラレルワールドも、数ある解釈の一つです。私たちのこの宇宙は、誕生・存在しにくい特殊なものです。しかし、ビッグバンの母数は無数であることから、私たちがいるこの宇宙のような極めて特殊な存在でも、誕生が可能です。

宗教と物理法則、宇宙学

次に、今日のテーマと関係のある宗教についても少し話したいと思います。様々な異なる民族の宗教では、なぜか同じく、この世界は混沌やカオスの状態から始まったと主張しています。しかも、このカオスの状態に関する描写は、ビッグバンが膨張を起こす前の特異点を描写しているようにも、僕個人的には感じています。

また、仏教には「実相」という概念がありますが、この概念に関する解釈はたくさん存在しています。ある仏典の実相についての文書に、

「木や花は、人に見られた時にしか存在していなく、それ以外の時は存在していない」

という内容があります。もちろんこのようなことは、私たちが生きている日常の世界については絶対にあり得ませんが、量子力学が研究しているマイクロスケールの世界における粒子は、人間に観察されていない時は、位置も速度も確定しない確率の状態として存在していて、人間に観察されたその瞬間に収束して状態が確定されます。

真実の目
真実の目

これはまさに仏典が当時の人たちに、マイクロスケールの世界を分かりやすい言葉で説明しているのではないかと思ったことがあります。このように、少し考え方を柔らかくして見ると、仏教が提唱した様々な見解は、実は物理法則や宇宙学について語っているのではないかという事例はまだまだたくさんあります。もちろん、これは一部の物理学者たちが創造主を信じるようになった理由とは関係がなく、僕個人の仏教に関しての感想です。

おわりに

アインシュタインは生前、宗教の中に存在する人格を持つ神を信じていないと公表したことがあります。しかし彼は次のような言葉も残しています。

「人類の思考能力で宇宙の全てを解明するのは不可能です。私たちは、大きな図書館にいる一人の子供のようです。図書館には、様々な言語で書かれた本がたくさんあります。子供は、本は誰かによって書かれていることを分かっていますが、本を書いた人物は誰なのか?本はどうやって書かれたのか?本に書いてある文字はどんな言語なのか?については、その子供は分かっていません」

もし宇宙の全てを解明することが科学の終点であれば、アインシュタインは、その終点が人類にはやってこないと思っているようです。

最後に、今回の動画を楊振寧がシンポジウムで残した言葉で終わりたいと思います。

「私は若い時、自信に溢れて、何でも理解できると思っていました。しかし年を取って、この宇宙のことを研究すればするほど、この世界の奥深さと不思議さに屈服してしまいました。」

この言葉は、多くの物理学者が老後になって感じ始めた悔しさや悲しさを表しているのかもしれませんね。

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