【始皇帝】中国を作った始皇帝は、宇宙人からサポートを受けていた?

ミステリー

はじめに

あの人気漫画「キングダム」のモデルである始皇帝は、中国を初めて統一した男で、数々の偉大な功績を残しました。始皇帝の国「秦(しん)」として中国を統一する前から、彼らの技術力は当時の紀元前220年が保有していたものをはるかに超えていました。

地球外生命体からサポートがあったからだと言う説

例えば、周りの国々を制圧できるほどの、先進的な武器の量産、とんでもない規模の万里の長城や「秦始皇帝陵」の建設。ある中国の古典に、始皇帝が宇宙人らしいものと接触した記録があり、「秦」が時代を超えた技術力を手に入れたきっかけは、地球外生命体からサポートがあったからだと言う説が広がっています。

始皇帝が国を統一した後、ほとんどの書籍を燃やし、多くの学者を殺しました。始皇帝自身に関する多くの記録も、この事件でなくなり、彼が初の皇帝になり、同時にもっとも謎の多い皇帝にもなりました。この男は、何か世に残せない秘密でもあったのでしょうか。今日は、始皇帝にまつわる数多くの謎を深掘りしていきます。ぜひ最後までお付き合いください。

技術力の高さ

まず、始皇帝が持っていた異常な技術力の高さから見ていきましょう。

不思議な剣

兵馬俑の発掘作業時に見つかった不思議な剣

最初は、秦始皇帝陵の一部である兵馬俑の発掘作業時に見つかった剣です。その剣は、重さ150㎏もある倒れた兵俑に押さえつけられ、45度くらいまで曲がっていました。作業員が兵俑を退けるとすぐに、その剣は一瞬で本来の姿である、真っすぐな状態に戻りました。これは非常に不思議なことです。ここまで形状を回復できる性能は、現代の形状記憶合金以上です。

現代において、形状記憶合金は1970年代から研究され始め、実用化が始まったのは1980年代でした。現代の物は、元の形状を戻すのに、その金属に熱を加えないといけません。でも、出土したその剣は、何もしなくても元に戻りました。

研究者たちはこの剣を実験室に持って帰り、精密な検査を行いました。結果は驚きで、形状記憶とは別の性能が見つかりました。剣の表面に、厚さ10マイクロメートル程度のクロム酸塩化合物の膜が存在しています。この膜のおかげで、2200年前に作られたこの剣は、ほぼ錆びていません。

しかし現代において、クロムという元素が初めて発見されたのは、1798年のフランス、クロムによる耐食加工技術が誕生したのは、1937年のドイツでした。兵馬俑から出土したほぼ全ての剣が、このような処理を受けていたので、なぜ2200年前の「秦」が現代を超えた技術を持っていたのか、非常に大きな謎です。

遠距離攻撃用の武器

また、剣だけではなく、「秦」の遠距離攻撃用の武器も当時においては、異次元な存在でした。

紀元前220年当時の、主な遠距離攻撃用の武器は弓でした。補助として、弩という武器も使われていました。この弩は、機械的な力を使って矢を飛ばしていることから、弓よりも、射程距離が長く、殺傷能力が高い上、使用者の熟練度も求めない、非常に強力な武器です。

しかし、「秦」以外の国は、弩の大量生産が難しく、質に関しても、命中率が低かったり、すぐに壊れたりして、実用的な武器ではありませんでした。でも「秦」においては、現代のライン化生産方式と、しっかりした品質管理システムで、質の高い弩を量産化でき、主な遠距離攻撃用武器として使用していました。

800メートルの射程距離をもつ弩

兵馬俑から出土した一つの弩は、800メートルの射程距離を出すことが出来ました。これはかの名銃AK-47の倍の距離になります。始皇帝が周りの六国を滅ぼし、中国を統一できた一つの主な要因は、「秦」が持っていた時代を超えた武器製造技術です。

真実の目
真実の目

ここで個人的な感想ですが、当時の「秦」は、現代のアメリカと非常によく似ています。アメリカはあの有名なロズウェル事件の後、一気に世界を制圧できるほどの科学技術力を手にいれました。アメリカが地球外生命体から技術的なサポート受けていたという都市伝説がきっかけで躍進したのなら、「秦」が時代を超えた技術力を手に入れたきっかけも、同じかもしれません。

これはただの推測ではなく、ちゃんとした根拠があります。

始皇帝と謎の ”使者”

中国の後秦時代に著書された「拾遺記」(しゅういき)という古典の中に、始皇帝がある外国の使者と会談した時の様子が描写されています。

会談の描写

使者が「秦」にやってきた時は、「淪波船」という船に乗っていた。この船は、川の中にも潜れるし、空も飛べる。使者の身長は十丈もある。始皇帝が次の数日間、使者と会談していた。使者によると、彼の故郷における一日の長さは、「秦」の一年の長さと一緒。彼の故郷の雲がとても厚く、太陽の光が地面に届かない。でも人々がある小さい石を燃やすと、太陽のように光ってくる。使者が始皇帝に、その石を見せた。彼は石を川に投げると、川全体が一瞬で沸いていた。

最後に使者が、蓬莱(ほうらい)という所に、不老不死の薬があると、始皇帝に言った。始皇帝が使者の石を見て、会話を聞いた後、驚きながら、「これは仙人だ」と感心した。

「拾遺記」にあったこの記録は、あまりにも現実と離れている内容なので、怪談小説としかされていません。

でもここでよく味わってみましょう。この、川も潜れる、空も飛べる「淪波船」は、まさにUFOその物です。使者の十丈という身長は、現代の単位に換算すると、20メートルほどあります。使者の故郷における一日の長さは地球の一年と一緒であるということは、使者の故郷の星は、重力の大きいところにあると考えられます。時間の流れる速さは一定ではなく、重力の大きいところほど、時間の流れる速さが遅くなる現象は、アインシュタインが証明済みの物理現象です。

そして、その川を沸かせた小さい石は、核融合反応の材料である可能性が非常に高いと僕は思います。なので、この会談に関する記載は、実は小説ではなく、歴史の記録その物である可能性は十分にあります。始皇帝が地球外生命体からサポートを受けていて、そこから時代を超えた武器の製造技術などを手に入れたかもしれません。

始皇帝陵の存在

もう一つ始皇帝に関する都市伝説は、始皇帝陵の存在でした。始皇帝陵は、1980年代までに、都市伝説としかされていませんでした。なぜなら、歴史書にある秦始皇帝陵に関する記載は全て、現実とずいぶんかけ離れた内容で、当時の技術力では実現不可能だと思われていたからです。その中で特に次のような記録がもっとも不思議でした。

始皇帝陵は、70万人で数十年間の労働で建てた。地下の宮殿には、水銀でできた川があり、この川は、国全体の川の形と同じく設計されており、始皇帝の棺が川の上で浮いている。宮殿の天井には星図(せいず)もある。宮殿の中では、特殊な脂肪で作られた永遠に光る常夜灯によって、常に昼間と同じく明るい。

兵馬俑の近くで確認された始皇帝陵の存在

客観的に見ると、これは誰でも都市伝説だと思いますよね。しかし、1974年、兵馬俑が偶然の出来事によって発見され、その中で兵馬俑の部隊と、先ほど紹介した数々の不思議な武器も発見されました。さらに、兵馬俑の近くで、始皇帝陵の存在を確認できました。陵の総面積はサッカーボール場の8000個分もあり、リモートセンシング技術によって、敷地真ん中の地下30メートルほどのところに、本当に大きな地下宮殿があるのが分かりました。研究者たちは、その周りの土にある水銀の濃度を測ったところ、通常より10倍ほど高い結果が出ていました。

この地下宮殿は、発掘に必要な技術がまだ不十分であるため、現在は発掘が禁止になっています。いつかその全貌が明らかになる日が来れば、間違いなく我々現代人を驚かせるでしょう。

始皇帝は人生最後の十数年間において、全国で不老不死の薬を探していました。彼が各地から道士(どうし)を集め、錬丹術(れんたんじゅつ)で作られた水銀を主原料とした薬を、長期間に渡って服用していました。始皇帝の急死は、水銀中毒が原因ではないかという推測もあります。彼がここまで不老不死に執着していたのは、その使者との会談が原因にあるのかもしれません。

さいごに

歴史を振り返ってみると、どの時代にも、始皇帝のような別次元の強さを持つ人物と、「秦」やアメリカのような、周囲を制圧できる国があります。これは、どこのだれかが、人類の文明を干渉した結果である可能性があるのではないかと僕は思います。

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