【分離脳】右脳と左脳の切断から生まれる奇妙な現象!「意識」の正体とは?

生命体の不思議

脳に関する手術

1920年から1950年までの間、人間の脳についての理解がまだ不十分だった頃、医師たちは精神疾患の患者を治療するために、現在では信じられないような脳手術を開発していました。そのうちの1つに、「脳梁離断術」という手術があります。

この手術を受けた患者たちが示した一連の奇妙な現象は、人間の脳の働きを私たちに再認識させるだけでなく、意識と人格が脳の中でどのように存在しているのかを再考するきっかけにもなりました。脳梁離断術とはどのような手術なのか?右脳と左脳の切断から生まれる奇妙な現象とは?我々人間の意識の正体とは一体どのようなものなのか?これから、我々の脳の未知の領域を探求していきましょう。

脳梁

私たちの脳が右脳と左脳から成り立っていることは、皆さんもご存じだと思います。実は2つの脳半球は物理的にはほぼ分離されており、その間を繋いでいるのは「脳梁」と呼ばれる構造です。脳梁には約2億から3億5000万の神経繊維が存在しており、2つの脳半球の間の情報を伝達する役割を担っています。

研究者たちは100年以上前から脳梁の存在を知っていましたが、もし脳梁が切断され、右脳と左脳のつながりがなくなったら、脳とその主人である人間がどのように変わっていくのかという謎に対して、強い好奇心を抱いてきました。

脳梁離断術

時は1940年代に進み、当時有名な脳神経外科医であったウィリアム・ワジネンが「脳梁離断術」という手術を開発しました。名前からも分かる通り、この手術の目的は脳梁を切断することです。ただし、これは研究者たちの好奇心を満たすための手術ではなく、「てんかん」という病気を治すためのものでした。

てんかんは古くから知られている疾患で、発作時は全身に激しい痙攣が起きます。このような症状が起きる主な理由は、脳内で異常な放電が起こり、右脳と左脳の間で信号が不規則に交換され、発作を引き起こすためです。

ウィリアム・ワジネンは、脳梁を切断すれば、2つの脳半球における信号の交換が止まり、てんかんの症状が抑えられるはずだと予想して「脳梁離断術」を開発しましたが、それに伴う副作用は未知数であったため、患者にとってはまさに賭け以外の何ものでもありませんでした。

しかしそうであっても、重度のてんかん患者は普通の生活を送ることさえできないため、脳梁離断術を受けることを決断した患者は多くいました。手術を最初に受けた患者は、当初、脳梁が部分的にしか切断されていない状態でありながら、てんかんの起きる頻度が大幅に減少したため、さらに数回に渡って手術を重ね、最終的にその患者の脳梁は完全に切断されました。その後、てんかんの症状が完全になくなり、さらに予想以上の結果として、副作用もほとんど観察されませんでした。

これを皮切りに、その後も多くの手術が実施されましたが、ほかの患者も同じくてんかんの症状がなくなった上、大きな副作用も見られないという点で、この手術の効果と再現性は証明されたように思われました。この成果を踏まえて、脳梁離断術は一時期リスクのない安全な手術であると宣伝されていましたが、異なる意見を持つ研究者も少なくありませんでした。右脳と左脳をつなぐ脳梁という重要な脳の一部が切断され、それでもまったく問題が起きないということは考えにくいという彼らの主張は、確かに一般人の直感とも合致するように感じられます。

そのような反対派の声を完全に無視するわけにもいかず、手術を受けた患者に対する追跡調査が実施されました。その結果、研究者たちの予想を大きく超える様々な奇妙な現象が観察されることとなったのです。

左脳と右脳

調査内容を紹介する前に、まずは前提知識として、脳がどのように働いているのかを簡単に説明します。脳は、右脳と左脳から成り立っており、右脳は左側の体を制御し、左脳は右側の体を制御しています。つまり、右手で何かをつかもうとするときには左脳が活動し、逆に左手を動かそうとする時には右脳が活動します。

また、目でものを見る時も同じく、両眼の視野の左側部分の情報は右脳へ伝達され、視野の右側部分の情報は左脳へ伝達されて処理されます。これらの情報は脳梁を通じてお互いの脳半球へと共有されることで、脳はやっと1つの完全なイメージを見ることができます。

また、左脳と右脳は生理的には構造がほぼ同じですが、それぞれの役割は全く異なります。現段階の研究結果から、左脳は主に言語、論理的思考、数学、分析などの、具体的な作業に関連する機能を担っていることが判明しています。一方、右脳は直感、想像力、芸術、創造性などの、より抽象的な事柄を担っています。これらの脳に関する前提知識を把握した上で、次は脳梁が切断された患者、いわゆる分離脳患者の身に起きた不思議な現象を見ていきましょう。

分離脳患者に起きる奇妙な現象

研究者は分離脳患者を実験対象に、主に彼らの視覚、聴覚、言語能力と思考能力について調べました。まず、視覚に関する実験では、スクリーンの真ん中に1つの丸が表示されます。被験者はこの丸を見つめるようにと指示されます。そのあと、丸の右側にリンゴの画像が表示されます。この時、何か見えたか?と被験者に質問します。すると、被験者は「リンゴを見た」と答えます。

ここまでは何の異常も観察されていません。なぜなら、被験者の右側の視野だけに映るリンゴの画像情報を左脳が受け取り、言語を司る左脳の認識にしたがって、被験者は「リンゴを見た」と答えることができるからです。

次に、丸の左側に、フライパンの画像が表示されます。先ほどと同じように、何か見えたか?と質問すると、奇妙なことに「何も見えていない」と被験者は答えました。左側の視野には確実にフライパンがあるのにもかかわらず、彼は「見えていない」と言うのです。ここでさらに被験者に次のような指示をします。「目を閉じて、左手で今見たものを描いてみてください」。すると、被験者の左手はなんと、フライパンを描いたのです。

これは一体どういうことを意味しているのか?

実は、これは脳梁が切断され、右脳と左脳の間で情報共有ができなくなった後の副作用です。具体的には、フライパンの画像は被験者の視野の左側にあったため、その情報は右脳が受け取ります。ですので、被験者の右脳は確実にフライパンを見ていました。ただし、右脳と左脳の接続が切断された被験者は、「フライパンが見えた」という情報を左脳に共有することができず、したがって、この時の左脳は何も見えていませんし、右脳がフライパンを見たということも知りません。

その上、右脳は言語能力を持っていないため、「フライパンを見た」という事実を言葉にして口から話させることもできません。その結果、この時に「何か見えたか?」と質問されても、言語能力を司る左脳は、「何も見えていない」と答えました。

そして、被験者が左手でフライパンを描けた理由についてですが、フライパンを見た右脳は、体の左側を制御する半球であるため、左手でフライパンを描くことができました。非常に不思議な現象ですが、さらに次の実験ではより興味深い現象が観察されました。

続いての実験では、研究者はスクリーンにある丸の左側に「雪の景色」、右側に「ニワトリの足」の写真を表示し、被験者にそれらを見てもらいました。そのあと、数枚の写真を被験者に見せて、先ほど見た写真と関係のある物をピックアップしてください、という指示を出しました。すると、被験者は「雪かき」と「ニワトリ」の画像を選びました。

ここまでは何の問題もなさそうな被験者の行動ですが、なぜこの2つの画像を選んだかと質問したところ、雪かきを選んだ理由は「雪の景色の写真を見たから」、ニワトリの画像を選んだ理由は、「ニワトリもある程度雪の掃除に役に立つ」、と被験者は回答しました。

なぜそのように支離滅裂な「ニワトリもある程度雪の掃除に役に立つ」といった回答をしたのか、考えてみましょう。

言語能力を司る左脳は「ニワトリの足」の写真しか見えておらず、反対側に「雪の景色」の写真も表示されているということを知りませんでした。ただし、右脳は「雪の景色」を見たため、左手に指示を出して「雪かき」の画像を選ばせました。この時の左脳は、左手がなぜそのような行動に出たのかが分かりません。そのため、「雪かき」と「ニワトリ」をなぜ選んだかという質問に対して、真相を知らない左脳は、強引に「ニワトリもある程度雪の掃除に役に立つ」という答えを作り出したのです。

この実験から、人間の右脳と左脳は、実は独立して稼働していることが示唆されました。この現象を解釈してみると、人間は、特に右脳と左脳の接続が切断された人間は、2つの独立した意識を持っているとでも言えそうです。興味深いことに、脳梁離断術を受けた患者たちはこの実験に参加するまで、自分の右脳と左脳が実は独立して思考し、行動しているということにまったく気づいていませんでした。そのため、実験に参加した被験者たちの全員が実験の結果に驚かされました。ここで少し話は逸れますが、実は分離脳患者のほかに、「エイリアンハンド症候群」という疾患も、実験で観察されたものと同様の現象を示しています。

エイリアンハンド症候群

「エイリアンハンド症候群」は、自分の意思あるいは意図とは無関係に、体の一部、通常は手が、勝手に動作するという病気です。その名前が示すように、手の動きが「他人のもの」であるかのように制御できなくなり、まるで「エイリアン(異質な存在)」のように感じられるといった現象が起こるのです。

この症候群に悩まされている患者は、しばしば自分の手が自分の制御を超えて動いてしまいます。たとえば、電気をつけたいと思って右手がスイッチをONにしたのに、左手は自分の意思に反して、すぐにスイッチをOFFにしたり、薬を飲もうとするときに、左手がその行為を阻止したりして、左手はまるで別の人の意思に従っているかのように動いてしまいます。

これは脳梁部分の損傷によって生じる病気ですが、一部の脳梁離断術を受けた患者でも似たような症状が観察されています。映画『レインマン』の主人公のモデルは、キム・ピークという人物で、彼の脳梁は生まれつき損傷を負っています。そのため、彼が歩けるようになったのはようやく4歳の頃で、成人になってからも複雑な運動はできず、IQテストにおいてもその結果は平均値を大きく下回っていました。

しかし、彼は様々な分野に渡る12000冊以上の本に書かれた内容を完璧に記憶することができ、音楽、芸術と数学の特定の分野で飛び抜けた能力を持っています。さらに、生まれつき脳梁に損傷があるためか、キムの右脳と左脳には両方とも言語能力が生まれ、そのおかげで2つの脳半球が同時に本を読み進めることができると考えられており、実際に彼は1ページをたった8秒で読むことができます。周りの人が彼のことを「キムピューター」と呼ぶほど、彼は頭の中の情報を瞬時に引きだすことができます。

これらの超人的な能力が生まれた理由は、脳梁の生まれつきの損傷を補うために右脳と左脳がそれぞれ独立に働くことで、各々の特殊な能力が発達したからだと考えられています。このケースから、右脳と左脳が異なる役割を果たすというのも、必ずしも絶対だとは限らないことが分かりました。

意識とは?

分離脳患者を対象とした実験とエイリアンハンド症候群の事例から、脳のそれぞれの半球が、いわば別個の意識、認知、感情、記憶などを持っているという事実が判明しました。これによって導かれるのは、私たち一人ひとりにとっての「自分」というものは何か、「意識」というものは何かという哲学的な問いです。

神経心理学者のロジャー・スペリーは、脳梁切断の患者を調査することによって、脳半球に関する研究の進展に大きく貢献し、1981年にノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ロジャーが思うには、脳梁が切断された患者だけではなく、我々人間はもともと、右脳と左脳で独立した意識を持っています。私たちの2つの半球は脳梁のおかげで何とかつながっているために、情報の共有と一元的な意識の形成が可能になっているにすぎないのです。しかし、仮にこの繋がりが切断されてしまえば、両半球の独立した意識の姿がたちまち明らかになっていきます。

そして、ロジャーの研究結果をもとに、研究者たちはさらに大胆な推測をしました。それは、我々の脳内には2つだけではなく、常に多くの意識が数限りなく存在しているという説です。それらは脳によって統一され、1つのまとまった意識として表れており、例えるならば、その仕組みはオーケストラによく似ています。

どういうことかというと、楽団全体は多くの異なる楽器とその奏者から成り立っており、それぞれ自由に演奏することができますが、指揮者の統一によって、全ての奏者がまとまった行動を取り、1つの曲を奏でることになります。普通の人にとって、ここで言う「指揮者」は脳であり、総体としての「私」の意識が「私自身」となり、「私自身」は「私」の意識を自覚するのです。

一方、脳梁が切断された患者の場合、統一されていた意識は右脳の意識と左脳の意識に分割され、すなわち2つに分割されたオーケストラにおいて、2名の「指揮者」が生まれます。彼らは両方とも体を制御する能力を持っており、思考的に決断を下すことができます。そのため、分離脳患者にとって、右脳の意識と左脳の意識、どちらが真の自分なのかを明確にすることは難しいです。

これらの発見は、自我や意識の根底にある問題について新たな謎を投げかけるだけでなく、人間性やアイデンティティの定義にも影響を与えています。例えば、私たちは自我をどのように定義すべきなのか?自我は1つの統一的な存在なのか?それとも、多くの部分的な意識から成る集合体なのか?さらに言えば、とある決断を下したのは、あなたの右脳なのか、それとも左脳なのか?罪を犯した犯人が、脳内の一部の意識によって犯罪に走っただけだとすれば、果たしてその人の“全体”に罰をくだすべきなのか?このような途方もない疑問までも出てきそうな気がします。

これらは科学的に説明がつく議論にとどまらず、哲学の領域にも踏み込んだ論点であるため、納得のいく答えを出すには、私たちには非常に多くの時間が必要です。

分離脳の話に戻りますが、脳梁離断術は現在でも難治性てんかんの治療で用いられることがあります。ただし、現代の技術でも副作用を伴うリスクがあります。なぜなら、脳そのものが圧倒的な複雑さを持ち、まだまだ未知の領域を残しているからです。これは手術や病気に限った話ではなく、当然私たちの全員の脳にも関係するテーマです。現代の社会生活で私たちは忙しい日々に追われ、つい脳に重い負担をかけてしまいがちです。そのため、疲れた脳をリラックスさせたり、リフレッシュしたりすることは非常に大切です。皆さんも自分なりの方法や過ごし方で脳を労っているのではないでしょうか。

それでは、今日もありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました