【ニコラ・テスラ】地球を惑星文明へと導くはずだった天才!彼を抹殺した者たちとは?

世界の真相

ニコラ・テスラ

1863年のとある日、ニコラ・テスラという名の7歳の少年は高熱で苦しんでおり、何度も意識を失う危険な状態にありました。幸いなことに、数日後には病気から快復しましたが、それから彼は様々な”幻覚“が見えるようになりました。長い間、何らかの精神疾患を患ったのではないかと周りに心配されていましたが、テスラは徐々にこれらの”幻覚“に慣れてきて、さらに”幻覚“を利用し始めました。何かについて考えをめぐらせたり、何らかのアイデアがひらめいたりすると、彼の頭の中に具体的なイメージ、もしくは物体の内部構造や輪郭が鮮明に浮かびあがります。

この能力のおかげで、彼は徐々に機械や装置などに強い興味を示すようになり、工学大学に進学しました。テスラは複雑な装置や機械を作る際に、まずは頭の中でイメージし、脳内で設計案を最適化します。こうすることによって、彼は図面などによる「設計」という段階をスキップし、いきなり試作や製造の段階に入ることができました。このような超人的な能力はよく周りを驚かせて、「天才」の評判を我が物にしていました。

今日では、あの伝説の起業家のイーロン・マスクと彼のテスラ電気自動車は誰もが知っていると思いますが、「テスラ」という名前の由来は、イーロン・マスクの最も尊敬する人物が、かのニコラ・テスラだからだそうです。

現代では、最も偉大な物理学者として、ニュートンやアインシュタインがよく挙げられます。しかし、実はニコラ・テスラは少しも2人に遜色ありません。なぜなら、21世紀はテスラ1人の力で作り上げられたと言っても過言ではないからです。そのため、「未来からやってきた人」、「最も神に近い人」などの表現がよくテスラとリンクされています。今回は、ニコラ・テスラにまつわる驚くべき物語と、既得権益が彼を抹殺した理由について見ていきましょう。ぜひ最後までお付き合いくださいね。

エジソンが恐れた天才

1856年、テスラはオーストリア=ハンガリー帝国のとある村で生まれました。冒頭でお話したあの奇妙な能力がきっかけで、テスラは19歳の頃にオーストリアのグラーツ工科大学に入学し、物理学、数学、機械工学を学び始めました。この頃、彼は電気に強い興味を持つようになり、卒業後、エンジニアとしての経験を積んでから、フランス・パリにあるエジソン・インターナショナル社でエンジニアとして働き始めました。

この会社は、有名な発明家のトーマス・エジソンが設立した会社のヨーロッパ支社です。1881年、会社はパリの電気展示会で直流電源による照明システムを披露し、ヨーロッパ全土を驚かせました。これにより、会社はヨーロッパ各地から次々と注文が入ってくるようになり、ヨーロッパ進出は大成功を収めるとエジソンは確信しましたが、ドイツのストラスブールで行われた展示会で、彼らの製品は爆発事故を起こしてしまい、市場の展開に大きな影響を与えました。

そこで会社はテスラを現場に派遣し、問題の解決に成功すれば25,000ドルの賞金を支給すると約束しました。着任したテスラはあっという間に、世界初の誘導電動機を設計し、問題を見事に解決しました。しかしその後、会社は約束された賞金をテスラに支払うことはありませんでした。怒りを感じたテスラは退職を決めましたが、ヨーロッパ支社の社長はテスラの辞職を慰留し、ニューヨーク本部への転勤を推薦しました。昔からエジソンの元で働くことが夢だった若きテスラは、賞金のことを水に流し、ニューヨークへ向かうことを決意しました。

しかし彼の希望や憧れを打ち砕いたのは、尊敬するエジソンの人柄が、彼が思い描いていた偉大な発明家とはまったくかけ離れていたという現実でした。

交流発電機の発明

テスラがニューヨークで最初に任命された仕事は直流発電機の修理でしたが、彼はすぐに直流発電機の欠陥に気づき、より効率の良い交流発電機の設計を始めました。ニューヨークのような大都市に電力を供給するためには、直流発電機の場合は大量の発電所を必要としますが、テスラが作ろうとしている交流発電機を使用すれば、たった1つの大型発電所で、当時のニューヨーク市全体の電力需要を満たすことができます。それを知ったエジソンはテスラに賭けを提案し、もしそのような交流発電機を作ることができれば、テスラに5万ドルを支払うと約束しました。しばらくした後、テスラはプラン通りの交流発電機を実現し、エジソンにその成果を報告しました。しかしエジソンは、「移民としてはよくやったな」の一言だけを残し、約束された5万ドルをテスラに支払うこともなければ、交流発電機を製品化する気もありません。自分の成果が評価されず、2度もエジソンに振り回されたテスラは、ついにエジソン・インターナショナルを離れました。

その後のテスラはしばらく工事現場で肉体労働の生活も経て、友人の出資で自分の会社を設立しました。直流発電が主流の当時、テスラは交流発電が必ず未来の主流になると確信し、交流発電機の開発を再開しました。

まもなく、テスラは実用化できる交流発電機の開発に成功し、それに関する特許も取得しました。同じ電気業界の実業家であるジョージ・ウェスティングハウスがテスラの交流発電機を知った時、エジソンの製品より断然に効率が良いと判断し、現金100万ドルでテスラの特許の権利を取得したいと提案しました。非常に魅力的な提案ですが、テスラはもっと戦略的な提案、現金は6万ドルで構わないとし、その代わりにモーター1馬力あたり2.5ドルの特許使用料を支払ってもらうという契約を提示しました。ウェスティングハウスはテスラの提案を受け入れ、2人で交流発電機を本格的に広め始めました。

これが、歴史上有名な「電流戦争」の開幕となります。

エジソンはあらゆる手段で交流発電機の危険性を世の中へ宣伝し、その広がりを止めようとしていましたが、やはり交流電の安価かつ無制限に変圧できる利点に直流発電は及ばず、市場は最終的にテスラの交流発電機を選びました。

数年後、ウェスティングハウスの会社は大手投資会社に買収され、ウェスティングハウスとテスラの間にあった特許に関する契約の破棄をテスラに要求しました。意外なことに、テスラはあっさりと提案を受け入れ、自分に入ってくるべき収益を放棄しました。テスラ本人によると、ウェスティングハウスは自分の成果を評価してくれた、それだけで十分だということです。契約の破棄によって、テスラは1200万ドル以上も失うことになります。これはテスラを当時のトップレベルの大富豪にすることができる金額です。

電流戦争に見事に勝利したテスラは、アメリカ電気技術者協会の依頼を受け、トップレベルの電気技術者たちの前で講演を行う機会がありました。講演中に彼は電球を交流電磁場の中に置いて、電線を使わずに電球を点灯させることに成功しました。出席した専門家たちは驚きのあまり、テスラを未来からやってきた人間だと称賛しました。そしてテスラは新しく取り組んでいる研究テーマ、エネルギーの無線伝送技術、つまり、電力を無線で飛ばす技術を実現させたいと発表しました。

それから数年後の1897年、テスラは次のような装置を完成しました。蒸気で駆動する振動子によって、さまざまな周波数の振動を生成してから、受信装置がこれらの振動を電流に変換することによって、エネルギーの無線伝送を実現するという仕組みの装置でした。

彼が研究室で装置の検証を行った際、周辺地域で地震が発生したこともあり、彼の発明は人智を超えたものだと感じる人がますます増えていきました。後にテスラは装置の原理を記者のアラン・ベンソンに説明したことがあり、ベンソンは『The World Today』誌で、装置に関する記事を発表しています。

ただし、このような仕組みでエネルギーを無線で飛ばすことに成功したとは言え、テスラが実現したいのは、数千キロ先の無線送電でした。ですので次にテスラが試みたのは、雷に含まれるエネルギーを、大地を媒体として遠く伝送する技術でした。彼は設備を整えた後、実験室の40キロ先に200個くらいの電球を設置し、雷がやってくる日を待っていました。実験は予想以上に順調で、雷が落ちると、設置された電球は全て点灯しました。この鍵となる技術をマスターしたことで、テスラは壮大な目標を目指し始めました。

フリーエネルギー

彼が思うには、交流電力では全人類が電力を利用できる世界は実現しません。なぜなら、交流電力は電線を必要としますが、世界の隅々まで電線を引くことは現実的なことではないからです。そのため、地球規模の電力転送は、大地を媒体に利用するしかありません。そして、エネルギー源に関しても、地球自体や大気中に潜んでいる無限に近い電磁エネルギーを利用することを彼は考えました。

テスラの壮大な目標というのは、自然界に潜んでいる電磁エネルギーを電力に変換し、無料かつクリーンなエネルギーとして、無線伝送技術で世界中の隅々まで提供することです。この目標が提唱された時、新聞にも大々的に報道されました。当時の新聞によるこちらの記事から、テスラの計画には16個のプロジェクトが含まれていることが分かります。

1、どれほど離れた場所でも、映像を見せることを可能にする

これを現代の言葉に直すと、「ライブ配信」に当たるでしょう。

2、地球規模の無線送電

3、手書きもしくはプリントされたメッセージの世界規模での瞬時伝送

これはファックスのひな形と言えるでしょう。

4、ワイヤレス操作による無人機の飛行

5、無線通信による船などのナビゲーション

6、火星との通信

7、機械及び乗り物の自動運転

8、ワイヤレスによる世界中の時計の一斉時間設定

9、世界規模のリアルタイム通話

10、無線通信による暗号化通話

11、株の世界規模でのリアルタイム・オペレーション

12から16、音声や映像データの世界規模での瞬時伝送

皆さんもお察しの通り、8から16のプロジェクトの内容は、まさにインターネットのひな形と言えるでしょう。

21世紀の現在では、2つ目の「地球規模の無線送電」以外は全て現実的なものとなっています。テスラがこれらを提唱し、実現する具体的な方法にまで固めたのが、130年前、という点を考えると、テスラを未来からやってきた人間だと言いたくなる気持ちもよく分かります。

しかし、実現の方法まで具体化されていたのに、テスラのこれらの計画は結局、当時は実現されませんでした。そして、21世紀の今日に至っても、「地球規模の無線送電」は未だ実現ははるか先になりそうです。これはなぜでしょうか?実は、その答えは非常にダークな真実であり、テスラが悲惨な晩年を送った理由でもあるのです。

ジョン・モルガンによる投資

テスラの壮大な計画が世の中へ公開された後、ジョン・モルガンという人物がテスラに強い興味を示しました。ご存じの方もいると思いますが、ジョン・モルガンは19世紀末の世界最強の投資家で、モルガン財閥の創始者でもあり、非常に大きなパワーと資金を握っている人物です。

モルガンが気に入ったのは、テスラの計画にある「無線通信」の部分でした。なぜなら、投資家としてのモルガンからすれば、場所や距離に関係なく、物理的な手立てによらず、暗号化されたメッセージを瞬時にやり取りできる「無線通信」が、全ての項目において最も利益が出るものと判断したからです。

彼は15万ドルの現金と、ロングアイランドにある広い土地をテスラに提供し、無線通信の実現を要求しました。テスラは表ではモルガンの提案を受け入れ、ロングアイランドの土地で無線通信を実現するための送信タワーを建設し始めましたが、実際のところ、この高さ57メートルの巨大なタワーは、無線送電を実現するための設備でした。テスラはこの計画を「ウォーデンクリフ計画」と名付け、このタワーを「ウォーデンクリフ・タワー」と名付けました。ここから、少し本題を逸れたウォーデンクリフ・タワーにまつわる真偽が定かでない話をご紹介したいと思います。

ツングースカ大爆発

タワーが完成した1905年の3年後、ロシアのツングースカ川の上空で大きな爆発が起きていました。爆発の威力は広島型原爆の185倍もあると推測されています。幸いなことに、爆発地は居住地から離れた奥地であるため、人的被害は確認されていません。当時は核兵器がまだ誕生していなかったため、爆発の原因は未だに不明のままですが、1つよく言われているのは、この“ツングースカ大爆発”は、ニコラ・テスラの実験によるものだということです。

アメリカのFBIによる後の調査によれば、爆発の数週間前から、テスラはアメリカ議会図書館に頻繁に出入りしており、シベリアに関連する書籍を数多く借りていました。特に彼は機密情報に分類された中央シベリアの地形図の情報に何度もアクセスしようとしていた点は気になるところです。

ツングースカ大爆発はテスラの仕業だという主張によれば、爆発の仕組みは次の通りです。地球を1つのコンデンサと見なした場合、ニューヨークからツングースカ、ニューヨークから北極までのラインが二つのコイルになります。そして、北極から地球の中心を経て南極に至るまでのライン上でいくつかのエネルギー受信点を結びつけることで、エネルギーの放出場所をツングースカにすることができます。次に、空中で磁力の合流地点を見つけ、共振をピークにすることによって、巨大なエネルギーが一気にツングースカで放出されます。もちろん真偽については何とも言えませんが、もしこの推測が本当であるのなら、当時のテスラは既に無線送電技術をマスターしていたということになるでしょう。

無線通信の実現

話を戻しますが、モルガンの期待する無線通信の開発がなかなか進まない中、グリエルモ・マルコーニという人物がテスラを追い越して、先に遠距離での無線通信を実現しました。この成果が世の中に大きく評価され、マルコーニは1909年のノーベル物理学賞を受賞しました。

しかし後に驚きの事実が判明し、なんとマルコーニが使用した技術は全てテスラが大昔に出願した特許に含まれている技術だということでした。つまり、テスラの特許が既に成立していたにも関わらず、後で出願された同じ内容のマルコーニの特許も成立したという前代未聞のことが起きていました。後にアメリカ最高裁判所はマルコーニの一連の特許を無効にしましたが、その判決が下された1943年、テスラは既に亡くなっていました。

このように、運命に翻弄されたテスラはノーベル物理学賞を受賞できるほどの研究成果を挙げながらも公平に評価されませんでした。実はこのほかにも、テスラはさらにノーベル物理学賞の受賞の機会がありました。1915年のノーベル物理学賞は、当時電気分野に大きく貢献したテスラとエジソンの2人に授与する予定でしたが、なんと2人ともそれを辞退したそうです。言うまでもなく、エジソン・インターナショナル社での揉め事と電気戦争での出来事が尾を引いていたのでしょう。

一方、マルコーニが無線通信技術を世の中へ発表した後、モルガンはテスラへの出資を止めることにしました。その理由は、テスラが約束した無線通信を実現できなかったからと一般的に思われていましたが、一説によると、テスラがウォーデンクリフ・タワーを建てた真の目的に気がついたことが、モルガンが出資を止めた本当の理由だと言われています。もしテスラが計画通り、自然界の電磁エネルギーを電力に変換し、それを無線送電技術によって世界中に無料のエネルギーを提供することに成功すれば、従来のエネルギー業界に関わる既得権益だけではなく、数千年間も続けてきた人類社会のピラミッドの形が崩壊してしまうと、モルガンは恐れました。従来のエネルギー業界から利益を得ており、同時にピラミッドの頂点にも座っているモルガンにとって、ウォーデンクリフ・タワーの完成やテスラの計画の実現は、自分自身の破滅を意味します。そのためモルガンはその後、テスラに一銭たりとも出資することはありませんでした。

そして、130年が経った今日において、テスラが提案した16個のプロジェクトのうち、唯一まだ実現できていないのは「無料かつクリーンなエネルギーの無線伝送」です。様々な背景を知った上でこの状況を見ると、これはきっと技術だけが壁ではないという気もします。

悲惨な晩年

モルガンに出資が打ち切られ、以前のパートナーのウェスティングハウスも亡くなっており、テスラはなかなか出資をしてくれる人を見つけることができませんでした。もちろんウォーデンクリフ・タワーを完成させることも叶わず、1917年には解体されてしまいました。しかしテスラにやってくる悲劇はそれだけではありません。テスラの研究所で原因不明の火事が起こり、彼のほとんどの財産に加えて、過去数十年間の研究成果も全部灰に変わりました。これは偶然とは思えない事件でした。

彼は類まれな記憶力で理論的な部分を復元できるとは言え、資金も設備も失ったテスラは再起不能な状況に陥りました。経済面で苦しくなった晩年の十数年間、テスラはずっとニューヨークのホテルの1室で暮らしていました。1943年、テスラがホテルで亡くなった直後、アメリカ政府はホテルの部屋にあるテスラが所有していたファイル、文書、メモなどを全て押収しました。なぜ政府がこのような行動に出たのかについては様々な憶測がありますが、テスラの研究内容が他国に知られることを恐れていること、革命的なアイデアや理論が世の中に公開されると既得権益に大きな影響を与えると考えられたこと、これらの理由からアメリカ政府は押収を決定したのだと言われています。

また、テスラは「デス・レイ」と呼ばれる強力な兵器の開発に成功していたとも言われており、その技術が敵国に渡らないようにするための対策だったとも言われています。押収された文書のほとんどは今でも機密情報に分類されており、アメリカが圧倒的な技術力を持つ理由の一部にはテスラのこれらの研究の恩恵を受けているからではないかという考えを持つ人もいます。

この動画の最後に、テスラが自分の能力の源を解釈した言葉をご紹介しましょう。

私の脳は受信機にすぎない。宇宙には中核となるものがあり、私達はそこから知識や力、インスピレーションを得ている。私はこの中核の秘密に立ち入ったことはないが、それが存在するということは知っている。

これは、テスラが「アカシックレコード」にアクセスできるからではないかと、以前の投稿でも紹介したことがあります。彼の頭脳は、地球を惑星文明へと到達させるにふさわしい宝でした。しかし、これほどの不思議な能力を持つテスラでも、既得権益を脅かす行動によって、その力を十分に発揮する機会を奪われ、身を滅ぼすことになってしまいました。

時代と運命に翻弄されたと言われるテスラですが、本当にテスラを翻弄し、不当に貶めていたのは、ピラミッドの頂点に座っている人たちとも言えるでしょう。このようなピラミッドは、いつまで続くのでしょうか?それでは今日もありがとうございました。

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