【科学と信仰の交差点】神の存在は論理的に証明できるのか?

世界の真相

はじめに

神の存在は、論理的に証明できるのか?真実の目へようこそ。

遥か昔から現在に至るまで、数多の人々が、神を敬い、神の心とともに生きてきました。それと同時に、人類の理性は、科学者、哲学者、数学者といった知の巨人たちを育て上げ、彼らの知識と理性を駆使して、神の存在を解明しようともしています。あるいは、神の存在を否定しようという努力さえ、その営みに含まれると言ってよいでしょう。今回のお話は、「神の存在の証明」、そして「神が存在しないことの証明」です。本題に入る前にお断りしておきますが、「神は存在するか」というこのテーマは、宗教や信仰に関する議論ではなく、徹底して哲学的、論理的な議論です。そして、ここでの「神」という用語は、聖書やそれぞれ宗教に登場する神を意味するものではなく、自然を超越した“創造主”のような究極の存在のことを指します。それでは早速、神ないし創造主などという者が果たして存在するのか、一緒に考えていきましょう。ぜひ最後までお付き合いくださいね。

宇宙論的証明

宇宙論的証明は、哲学者トマス・アクィナスによって提唱された説で、その内容は次のようなものです。この世界をよく観察すると、あなたは1つの事実を発見します。それは、どんな物事であれ、それを生み出した原因が存在する、ということ。例えば、花粉が空中を舞っているのは、花粉自身に原因があるわけではなく、空気の動きが原因です。また、空気が動いている原因は、地表の不均等な加熱と冷却です。そして、地表の不均等な加熱と冷却は太陽放射によって引き起こされ、太陽放射にもそれを引き起こした原因があります。このように、この宇宙に原因と結果の連鎖があることは容易に理解ができます。この因果の連鎖を原因の方向へ遡っていくと、論理的には必ず連鎖の最初の原因にたどり着くはずです。そして、それがこの宇宙を生み出した原因であり、全ての始まりなのだから、それをこの宇宙の創造主、神であると特定できる、これが宇宙論的証明の理屈です。

この証明の根本的なロジックは、「自己原因は成り立たない」という点にあります。つまり、物事はそれ自体が自身の存在や運動の原因にはなり得ない、原因は外部から来ているということです。したがって、必ずそこには1つの因果の連鎖が存在することになります。そしてもう1つの前提として、この因果の連鎖上では無限の遡りは成立し得ないとされています。因果の連鎖がたとえ何回重なろうとも、その回数が天文学的に大きい数字であっても、原理的に因果の連鎖は有限である、例えるならドミノ倒しのように、ドミノの列がどんなに長くても、必ず始まりがあり、ドミノの列が倒れ始める前に、必ずそれを押した者が存在するという見方です。

実は、物理学の父と呼ばれているニュートンが発展させたニュートン力学もこのような世界観を持っています。

すなわち、物体の運動状態を変化させるのは力なのだから、それを一個ずつ前に導いていくと、この宇宙を切り開く最初の動因が存在しなければならないという結論です。とても理屈っぽく、初めて聞くと完璧にも思えるこの証明ですが、これに対する反論も当然あります。それらがどのようなものか、見ていきましょう。

宇宙論的証明に対する反論の鍵は、この宇宙の誕生のために、必ずしも誰かが「最初の原因」や「最初のきっかけ」を与えなければならないのか、という疑いです。ドイツの哲学者のイマヌエル・カントは次のように異論を唱えています。私たちは日常生活の中で物事の間に因果関係を見ることができます。しかし、だからといって宇宙の起源に関して、同じような認識の型を当てはめて、簡単に理解できるとは限りません。言い換えれば、宇宙がどのようにして生まれたのかという問題は、日常生活における人間の経験の範疇を超えた問題なのです。カントは、アクィナスの宇宙論的証明は、論理的推論というより、アクィナス自身の信仰に基づくものに近い、と指摘しました。

もう一つの反論は、イギリスの哲学者のバートランド・ラッセルによるものです。ラッセルによると、宇宙論的証明が犯した間違いは、「合成の誤謬」でした。つまり、全体の中の一部が何らか性質を持っているという事実から、その全体も同じ性質を持っていると推論するのは間違いだという指摘です。例えば、プロのバスケットボール選手の平均身長が2メートルであるという事実を見て、人類全体の平均身長も2メートルであると推論するのは明らかに誤りです。同様に、人類がこれまで観測してきた宇宙のあらゆる事象に原因があるとしても、私たちが経験したことのない宇宙の誕生という事象にも原因があるはずだと単純に考えることはできません。以上が宇宙論的証明の内容とそれに対する反論です。次に神の存在を証明する2つ目の方法を見てみましょう。

目的論的証明

哲学者ウィリアム・ペイリーによる神の存在の証明は、「目的論的証明」、もしくは「デザイン論」と呼ばれています。この証明の基本的な考え方は、この世を観察すると、存在しているすべてのものはとても調和が取れていて秩序があり、すべてにそれぞれの目的があるというものです。例えば、動物や人間のさまざまな器官はとても精巧にできています。各パーツの複雑さ、巧妙さは自然の中から偶然に生まれたとは考えにくく、これらすべての背後には、意図的な設計があるに違いないという考えです。つまり、全てを設計した設計者が存在し、この設計者こそ俗に言う「神」です。

ペイリーは次のようなたとえ話をしていました。「荒野の地面に時計が落ちているのを見たとき、私たちは、時計が何の理由もなくたまたまそこにあった自然の産物だとは思わないだろう。なぜなら、時計は精密な構造を持っており、必ず時計職人によって設計され、作られたに違いないのだから。同じように、私たちはこの調和と繊細さを持つ世界を見て、この世界を設計し創造した設計者がいたに違いないと推論することができる」。さて、この証明への反論にはどのようなものがあるでしょうか?

1つ目の反論は、ペイリーの議論は厳密な論理的推論ではなく、類推に基づいて得られた間違った解釈だ、というものです。確かに、時計職人が作った時計は高度に精密で、巧妙な構造をしています。それと対比して、この宇宙も時計と同じく高度に精密で巧妙であるため、宇宙も必ず誰かの設計によるものだ、というのがペイリーの理屈ですが、これはそれほど説得力のある意見ではありません。類推によって導かれた結論は、その類推に使われる2つのものにどれだけの類似性、共通性があって、同じ理屈を当てはめることが妥当であるかが重要です。ペイリーの議論では、時計と宇宙の間に何らアナロジーとして成立する要素が示されておらず、その結論は合理的な説得力を持たない、と反論されています。

2つ目の反論は、「目的論的証明」が前提としている宇宙の目的性についてです。目的論者は、世界はとても調和的で繊細であるため、目的を持っているように見えると主張します。しかし、この宇宙は実際にはあまり調和が取れておらず、繊細でもないと考える見方もあります。もしこの宇宙が本当に設計されたものであるならば、その設計はお世辞にも完璧とは言えず、欠点だらけだと指摘されても否定できません。そして、なぜ人類のように高度で複雑な生物が偶然に誕生できるのか、そんなことは起こり得ないという目的論者の主張に対しては、シンプルにダーウィンの進化論で説明ができます。

進化論の自然淘汰の論理によれば、大自然には人格も目的もありません。高度な生命体が今存在しているのは、何者かによる意図的な設計行為ではなく、生命の進化の過程を通じた絶え間ない試行錯誤の結果です。過去と現在のすべての生物たちが、あらゆる遺伝子の変異を今日までつないできたことによって、今の状態が実現されています。そして、遺伝子の変化や変異はすべてランダムであり、目的もなく、方向性もありません。つまり、生命はさまざまな形態に変わることができ、その中で環境に適応できない生命は淘汰され、環境に適応できる生命が生き残るという、行き当たりばったりとも言える自然選択に過ぎないのです。

何十億年という歳月を経て、現在地球に生き残っている生命はすべて、今のところ環境にうまく適応し、異なる種で互いに補完し合っているため、世界全体がまるで完璧な調和を見せているかのように感じるかもしれません。しかし、私たちに見えていないのは、試行錯誤の結果、世界から淘汰された夥しい数の犠牲者がいるという事実です。自然淘汰はこれらの犠牲者に対し、決して「調和」などという温かな施しをしてきていません。

世界が完璧に調和しているという考えは、生存者バイアスによる誤った認識でしかないのです。後に科学者たちは、この進化論の自然淘汰の論理を非生物的な物質世界にも拡張しました。その拡張された論理によれば、ビッグバンに始まり、原子の出現、星の出現、地球のような惑星の出現、そして生命の出現に至るまで、全てが自然淘汰による結果であり、それらをアレンジする設計者は必要とされていません。しかし、このような反論への抵抗から、神の存在を証明する次の方法、「インテリジェント・デザイン」という新たな発想が生まれました。

インテリジェント・デザイン

インテリジェント・デザイン、いわゆるID理論の基礎は、この宇宙は人間よりも優れた知性を持っている者によって設計されたものだというアイデアです。本質的に、インテリジェント・デザインは「目的論的証明」と同じ理屈や姿勢によるものと言えます。この理論が主張されるとき、しばしば次のような説明ないしは語り方を聞くことができます。「世界は非常に巧妙であるため、それを解釈するためには、全てを設計した設計者が存在するという解釈が最も合理的である」。インテリジェント・デザインの発想は、「目的論的証明」が抱えていた論理的な弱点の多くを克服しています。

先ほどお話しした通り、ダーウィンの進化論は、「目的論的証明」を強く否定するものでした。しかし、インテリジェント・デザインは、それをさらに上回るかのような反論を展開します。具体的には、アメリカの生化学者のマイケル・ベーエが提唱した、「還元不能な複雑さ」という概念が軸になります。この概念を理解するために、再び時計をモチーフにして考えてみましょう。精密な部品の数々、そのどれか一つでも取り去ると、当然時計全体が動かなくなります。つまり、それぞれの部品は単純化したり取り除いたりすることができないほど重要なものです。ベーエはこのような状況を「還元不能な複雑さ」と呼びました。時計のような装置は、あらかじめ実現したい機能を具体的かつ正確に想定した上でそれを設計しなければなりません。つまり、時間を表示するという機能を実現することを目的として掲げ、そこから逆算して必要な個々のパーツを設計し、そして全てのパーツを組み合わせることで、やっとその最終目的が達成されます。これが、「還元不能な複雑さ」です。

同様に、生物とその組織や器官も「還元不能な複雑さ」を持つシステムであり、どの部分が欠けても全体は機能しません。例えば、人間の目は網膜、水晶体、角膜、およびその他の部分からなる複雑なシステムであり、単純な部分の足し算ではなく、特定の方法でそれぞれのパーツを組み合わせることによって、やっと「見る」という機能を実現しています。それを事実として認めたとき、一つの疑問が生じます。このような「還元不能な複雑さ」を持つシステムを、進化論はどう解釈するのか?このようなシステムのそれぞれのパーツは、どのように別々に進化してきたのだろうか?さらに重要なことは、システムの機能を実現するために、これらの異なるパーツが最終的にどのようにして、進化のリズムに同調して最終的に一つのシステムを構築したのか、という生命の神秘です。このような大規模なプロジェクトのスケジューリングを統一できるような、賢明で責任感のある設計者が誰もいない状況で、ランダムな自然選択によってこれほどまでに複雑なシステムを形成することは不可能なように感じます。したがって、「還元不能な複雑さ」を持つシステムは、高度な知性によって設計されていると考えるのが合理的なのです。

インテリジェント・デザインに反論するためには、世の中に存在する多くのものが、なぜこれほどまでに巧妙で高度なのか、なぜ人間が設計したどの装置よりも複雑なのかを説明する必要があります。そして、その反論を試みる人々の答えは以外とシンプルなもので、それは、「偶然」という二文字に集約されます。ただ、これらの偶然が生じるための前提条件として、「十分な時間を与える」ということも提示しています。どういうことかと言うと、生命が進化する方向はランダムであり、より複雑な方向にも、よりシンプルな方向にも進化します。しかし、シンプルな方向への生命の進化は、最も単純な構造を持つ単細胞生物に進化した時点で終結するため、この進化の方向には終点があります。しかし、複雑な方向への進化には終わりがありません。一見すると、生命の進化の方向は、より複雑な方向に進化しているように見えますが、実際にはランダムであって、私たちはシンプルな方向への進化を見落としがちなだけです。何十億年という進化の過程では、シンプルな構造を持つ単細胞生物も、人間のような高度に複雑な生物も、どちらも多種多様に進化してきました。現在、細菌などの微生物の数が複雑な形質の生物の数より多いのは、その証左です。ですので、十分な時間を与えれば、設計者がいなくても、生命は人間が再現できないほど複雑な方向に進化することができるはずです。

この反論は非常に筋が通っていて、多くの人を納得させることができそうです。しかし、この反論は物事が1から100に複雑化・高度化していく過程を説明しただけで、物事の0から1の過程は説明していません。生命や宇宙が無からどのように誕生したのか、本当の最初には何があったのか、この反論はそれに言及していないという点で、致命的な瑕疵があります。現在の物理学によれば、宇宙は138億年前に特異点の膨張から生まれました。しかし、この特異点がなぜ存在するのか、特異点はどこから来たのか、現在の物理学はほとんど論じることができていません。

ですので、宇宙がどのようにして生まれたのかと問われたとき、私たちは宇宙よりもさらに上位の存在を導入する必要があります。これこそがインテリジェント・デザインの重要な部分です。ただし、これに関しても科学サイドはただ黙っているわけではありません。現段階の物理学が宇宙の誕生を説明できないからといって、未来永劫そのままということにはならないのです。以前の動画でご紹介した、スティーヴン・ホーキング博士が提唱した宇宙起源の仮説、ビッグバンを引き起こしたのは「量子ゆらぎ」という現象であり、宇宙の始まりに「神」といった存在は必要ないという主張の先には、科学が宇宙を解き明かす未来が示唆されています。しかし、こうした議論の応酬から、神の存在を証明するためのさらに新たな理論が生まれました。

微調整された宇宙論

「微調整された宇宙論」は、宇宙の基本的な物理法則や定数の中には、生命が誕生するために、あるいは人類が誕生するために、何らかの高次の知性が意図的に微調整を施した、言わば「人為的な物理定数」があるという説です。物理学には多くの基本定数があります。物理学を建物にたとえるなら、これらの定数は建物全体の中でも不可欠な部分ですが、それらの値自体はどのような値でもよく、どのような値であっても建物が倒壊することはありません。しかし、その値によって建物の外観や内部構造はそれぞれ異なり、多様な建築が選択肢としてあり得ます。現実でもこれは同じことで、これらの定数の値が実際とは異なるほかのどのような値であっても、宇宙そのものは存在することができますが、その値によって宇宙の姿や内部構造はまったく異なるものになります。しかし、奇妙なことに、私たちの宇宙に存在する多くの物理定数は、生命、特に複雑な生命が存在できるちょうどよい値になっているのです。もしこれらの定数が現在の値から少しでもずれると、宇宙は生命を誕生させ、存在させることができなくなります。

宇宙の膨張率を例にとって具体的にお話しします。もし膨張率が少しでも大きければ、宇宙の物質は星や惑星に凝集することができず、生命が存在するのに適した場所がなくなってしまうかもしれないし、逆に膨張率が少しでも小さければ、宇宙は形成されるやいなや急速に崩壊してしまい、生命が発生し、生き残るチャンスは残されていなかったかもしれません。また別の例として、宇宙に存在する4つの基本的な力(電磁気力、強い核力、弱い核力、重力)の強さが挙げられます。これらの力の強さが今のままでなければ、原子さえも安定的に存在できなくなる可能性があります。もし原子という極めて根本的な物質の単位が安定的に存在できないのであれば、生命など存在の余地すらありません。このような基本的な物理定数は他にもたくさんあります。

疑問なのは、なぜこれらの定数が完璧な値に収まっているのかということです。もしかしたら、大昔に宇宙が創造されたときに、これらの物理定数を微調整し、最も完璧な値に正確に収めて生命を誕生させようと企図した高次の知的設計者が存在したのかもしれません。もしこのような設計者がいるのであれば、その設計者が神、つまり創造主となります。これが、微調整された宇宙論が神の存在を証明しようとするプロセスです。もちろん、これにも反論があります。その肝は、物理定数の微調整現象をどう説明するかです。現在、主に次の3つの説があります。

「多元宇宙論」

この仮説は、私たちが住んでいる宇宙以外にも、異なる物理定数を持つ宇宙が無限に存在するという考え方です。これらの無限の宇宙の中には、生命の存在に有利な物理定数を持つ宇宙も含まれ、私たちはそのような宇宙の一つに住んでいます。つまり、私たちの宇宙は特別に設計されたものではなく、単なる統計学と確率論に導かれたものであり、無限の可能性の中で、たまたま生命という事象にマッチしていただけです。

「未知の自然原因」

一部の科学者が思うには、私たちの宇宙に対する現在の理解はまだ十分ではなく、物理定数の値を決定しているのは、私たちがまだ発見していない何らかの自然な原因かもしれないようです。この立場からしてみれば、物理定数が現在の値を持つ理由を説明できる新しい理論や原理の発見は、純粋に科学の進歩に期待すべきことだと言えます。

「人間のバイアス」

一部の哲学者は、人間は常に自分たちを特別な存在だと感じる傾向があると指摘しています。たとえ宇宙の物理定数が異なっていたとしても、人類と異なる形の想像もつかないような生命体や何かしらの存在、事象が誕生するかもしれず、今の私たちがこうだからといって、生命は私たちと似たような形でしかあり得ないと決めつけることはできないはずです。

以上が、神の存在を証明する4つの方法と、それに対する反論の数々です。神の存在を支持する学者も否定する学者も、理性的で論理的な思考を通してこの問題を探求し、議論を続け、より多くの証拠を集めることが、この命題を解き明かす鍵であるという点で一致しています。しかし、いつか神の存在が証明されたとき、私たちはすぐに次の問題に直面することになります。そしてそれは、子どものように素朴な疑問です。私たちを創造してくれたありがたい神様は、一体、何者によって創造されたのか?

それでは、今日もありがとうございました。

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