【総集編】創造主はプログラマー?量子力学から読み解く宇宙の真相とは?

世界の真相

量子力学・総集編。創造主の秘密に迫っていきましょう。

量子力学

「量子力学」、現代でこの言葉をまったく聞いたことがないという人はあまりいないかもしれませんが、それでも多くの人にとっては、この言葉が何を意味するのかを正しく説明することは至難の業でしょう。ほとんどの人と無縁でありながら、その実、この学問は、現段階において最も宇宙の真実に近い学問と言われています。

量子力学が研究しているのは、この世界の基盤となっている、物の「量子」です。「量子」は、物事の最小の構成単位を指しています。自然界のあらゆるものは、これらの最小単位が無数に集まってできています。例えば、光を構成する1つ1つの光子、物質の基本単位である原子を構成する電子とクォークなどは、全て量子のカテゴリーに入ります。そして、これらの量子の性質や挙動を研究する学問が、量子力学です。

一般人の日常生活とほぼ関わりのない分野なので、一般人が「量子力学」について何も分からないのは当たり前です。しかし、たとえ人生を量子力学の研究に捧げた専門家、研究者であっても、量子力学をまるで理解できていないのだと言われたら、皆さんは「一体どういうこと?」と戸惑うでしょう。

1965年にノーベル物理学賞を受賞し、量子力学の分野で数多くの偉大な業績を残したリチャード・ファインマンは、大学の講義で次の言葉を残しています。

「私が自信を持って言えるのは、誰もが丸っきり量子力学を理解していないということです。ですから、私の講義を通して量子力学の何かを理解できるようになれるとは思わないほうがいいでしょう。」

また、量子力学の先駆者であるニールス・ボーアやポール・ディラックなども、似たようなことを言っていました。なぜ彼ら大御所が挙って「量子力学が理解できない」などと言うのでしょうか?彼らが理解できないのは数式や方程式などではなく、量子力学が研究しているミクロスケールの世界に存在している常識に反する様々な物理現象です。

どういうことかと言うと、量子力学が誕生するまでの物理学は、どれも直観的で理解しやすいものだったということが出発点になります。例えば、古典物理学のニュートン力学、これらは中学生でも理解できます。なぜなら、これらの理論は私たちの日常的に体験していることを描写しており、私たちの感覚や直観と一致しているからです。

そして、その後に発展してきた光学、熱力学、電磁理論などは、高度な数学の応用が必要とされることから、習得するための難易度は数段階上がるものの、それらの原理自体はまだ理解しやすく、私たちの直観とやはり一致しています。

さらにその後に誕生したアインシュタインの相対性理論は、我々の日常的な体験と直観に反する現象を提唱した理論ではありますが、十分な物理知識を持つ学者や、そういった人に教わる優秀な学生なら、それを腑に落ちるまで理解できます。しかし、量子力学に関しては話が全く異なります。なぜなら、ミクロスケールの世界の物理法則は、まるで別の世界の法則のように、我々の普段の世界とまったく異なっているからです。

粒子と波動の二重性

例えば、量子力学を学ぶ際には、最初に受け入れなければならない法則があります。

ミクロスケールの世界に存在している量子の基本的な性質の1つ、「粒子と波動の二重性」というものです。量子は、弾丸のような粒子の状態と、水のような波の状態を両方とも持つという性質があるのです。では、さらに一歩進んで、どんな時にどちらの性質を現すのかと聞かれると、これもまた不思議な答えが返ってきます。

粒子の状態と波の状態を両方とも持つ

人間が量子を観測すると、量子は観測されたその瞬間に、弾丸のような粒子の性質を現します。そして観測が終わると、量子は観測が終わった瞬間に、波の状態にも戻ります。こんなふうに一言二言でまとめられても、何が何だか理解できませんよね。もう少し詳しく順に追って説明します。

まずは「観測とは何か」から確かめておきましょう。「観測」というのは、人間が何らかの観測手段を使って、量子の位置、運動量、スピン、もしくはエネルギー状態などの物理量を測定することを指します。いかなる手段を用いたとしても、量子のこれらの物理量の1つだけでも判明すると、量子はその瞬間に波の状態から粒子の状態に変わります。量子力学では、この過程を「収縮」と言います。この言葉はこれからもたくさん出てくるので、皆さんは「収縮」という言葉を頭に入れておいてください。

そして、観測行為が終わると、量子は終わったその瞬間から波の状態に戻ります。つまり、量子が波となっているのか、もしくは粒子となっているのかは、人間がそれを観測するかどうかによって決まります。

この現象を物理学者から見れば、今までの科学が持つ世界観を覆すものだと頭を抱えることになってしまうのです。その理由として、これまでの科学の1つの根本的な考えとして、客観的な物事の性質は、あらゆる人間の主観的な行為によって変わることがないという大前提があったからです。すなわち、人間がいくら頭の中で願っても、鉄の塊は金の棒に変わることはありえないはずです。しかし、ミクロスケールの世界では、人間の主観的な「観測」という行為が客観的な存在である量子の状態を変えることができてしまいます。

真実の目
真実の目

あまり適切ではない例えですが、ミクロスケールの世界では、人間が鉄の塊をただ見つめるだけでそれが金の棒に変わる、乱暴に言うとそんな現象が起きているのです。後ほどまたこの現象について詳しくお話しますので、今は次の内容に進みましょう。

状態の重ね合わせ

量子力学で次に受け入れなければならないのは、「状態の重ね合わせ」という現象です。

先ほどお話した通り、人間に観測されていない時の量子は、波の状態で存在しています。この状態は非常に特殊で、様々な可能性を同時に持っている状態、すなわち、「重ね合わせの状態」となっています。

具体的に、今のところ人間によって観測されていない1つの電子があるとします。観測されていないので、この電子は波の状態を現します。ある時点で、この電子は場所Aにもありますし、場所Bや場所Cにもあります。また、場所だけではなく、他の状態も重ね合わせています。例えば、電子は常に“自転”のような動き、「スピン」をしていますが、その“自転”の方向も、いくつかの異なる方向の重ね合わせの状態になっています。つまり、同時に右にも回っていますし、左にも回っています。

ただし、電子は普段は原子の中に存在していますので、この時の電子の状態も見てみましょう。原子の中に電子があり、電子は原子核の周りを回っている。これは皆さんも物理の授業で学んだかと思います。しかし実は、これは正確ではありません。実際のところ、原子の中には電子が存在しているのですが、その存在状態は、1つの電子が様々な異なる場所に同時に存在している、という状態です。

もしとある瞬間にその電子が一体どこにあるのかを観測してみると、原子核に近ければ近いほど、そこに電子が現れる確率は高く、原子核から離れるほど、そこに電子が現れる確率は0に近づいていく、という観測結果が得られます。ただし、0に近づいていくことは0とイコールではないので、その電子は、ある瞬間に100万光年先の宇宙空間に現れる可能性だってあるのです。

真実の目
真実の目

非常に不思議なこの「状態の重ね合わせ」ですが、不可解な現象はまだまだあります。例えば、アインシュタインに「不気味な遠隔作用」と呼ばれている「量子もつれ」現象や、直観に反した量子の「不確定性」などが挙げられます。

黙って計算しろ

本来、私たちのいる普段の世界の全てがミクロスケールの世界にある量子で構成されているのですから、その2つの世界はどちらも同じ物理法則を持つのが筋ですが、常識に反した現象がミクロスケールの世界では様々に起きています。それらを目の前にして愕然としてしまうというのが、「量子力学の研究者たちは量子力学を理解できない」という表現の根っこにあるものです。

これらの不思議な現象は確かに観測や研究によって実証されているものなので、物理学者たちは理解できないと同時に、それらを認めざるを得ません。一生をかけて量子物理を研究してきた大御所たちでさえ自分の困惑を率直に認めているので、量子力学の分野では、「黙って計算しろ!」(Shut up and calculate!)という言葉が存在しています。これは、量子世界の根本的な仕組みが分からない今では、とりあえず無意味な議論を避けましょうという意味を含んでいます。

真実の目
真実の目

では、このような状況のもとでは、私たちは量子世界の根本的な部分を理解しようとするのは諦めるべきなのでしょうか?トップレベルの研究者たちでさえ分からないことを、私たち一般人が立ち向かうのは無謀でおこがましいことでしょうか?僕が思うには、その答えは「NO」です。

物理学は確かに“宇宙の真理”を解き明かすことを究極の目標としており、そこにたどり着くためには、1つ1つのステップを確実に踏みしめて前に進んでいます。しかし、宇宙それ自身を超えるようなものは、観測や検証の手段が存在しないため、推測だけで結論を出さない物理学にとって、研究対象となりません。そして、今後の量子力学の根本的なテーマは、もしかしたら、宇宙それ自身を超えたものとなる可能性があります。そうなってくると、それは物理学の範疇を超えることになるので、現段階においては、推測によってのみそれを探っていくしかありません。ですので、今回の旅は、量子力学からその“宇宙を超えた存在”の正体にまでたどり着く長い探検となっています。

推測による内容も含まれていますが、全ての判断材料は信頼に値する最前線の研究結果を使っているので、量子力学だけを詳しく知りたい方にも、きっと役に立つ内容となっています。それでは、僕と一緒に量子の世界を探検しながら、その裏で隠されている究極の真相に迫っていきましょう。ぜひ最後までお付き合いくださいね。

シュレーディンガーの猫

今回の旅の始まりには、あの有名な猫がお供します。皆さんもご存じの彼あるいは彼女は、「シュレーディンガーの猫」と呼ばれています。

量子力学の発展の初期において、冒頭部分で紹介した、量子が波の状態から粒子の状態へ収縮する二重性や、量子の状態の重ね合わせなどの現象は、あまりにも現実世界の常識を覆しすぎて、とても受け入れがたいものでした。そのため、多くの物理学者は量子力学の主張に反対していました。

エルヴィン・シュレーディンガーも最初はそのうちの1人でした。彼は量子力学の不可解さや直感に反する主張を強調するため、次のような思考実験を考えました。

猫を密閉された箱の中に閉じ込め、箱の中に放射性原子と毒ガスの入った容器も入れます。放射性原子が原子核崩壊を起こすと、仕掛けが反応し、毒ガスが放出されます。この場合、猫は死にます。しかし、量子力学の理論によると、私たちがその原子の状態を観測しない限り、原子は常に「崩壊している」と「崩壊していない」という2つの異なる状態の重ね合わせた状態にあります。したがって、箱を開けて実際に猫を観測するまで、その猫も「死んでいる状態」と「生きている状態」が重ね合わさった状態であることになります。

しかし、同時に死んでもいるし、生きてもいるなどという状態は、現実でありえるかどうかを考えるどころか、その様子を想像することすらできません。この不可能性を論拠に、量子力学の主張が考えられないものだと指摘することが、シュレーディンガーの猫という思考実験の目的でした。

しかし今となっては、量子力学の主張は間違っていないと実証されています。ただし、シュレーディンガーの猫における「死んでいる状態」と「生きている状態」を同時に持つ猫という存在も、確かに想像できないものです。この矛盾をどう解決すればよいのでしょうか?実は、私たちが誰もが一度やったことのあるコンピュータゲームで考えてみれば、この矛盾は簡単に解決できます。

シミュレーション仮説

あなたはとあるコンピュータゲームをしています。ある場所で宝箱を発見し、それを開けようとしていますが、ゲームの設定として、箱が開けられた後、50%の確率で貴重なアイテムが、50%の確率でモンスターが箱から出てきます。どちらが出るかは、箱が開けられた瞬間にしか決定されません。ですので、プレイヤーのあなたが箱を開けるまで、その中のものは、アイテムとモンスターの重ね合わせたものとなっています。箱が開けられた瞬間、ゲームはやっと設定された確率にしたがって箱の中身を1つの確定した状態にします。

ここで少しクレイジーな仮説を立てましょう。もし私たちのこの世界も1つのコンピュータゲームであるのなら、シュレーディンガーの猫という思考実験における「死んでいる状態」と「生きている状態」を同時に持つ猫や、量子力学にあるあの不可解な「状態の重ね合わせ」という現象は、一瞬の間で理解できるようになるのではないでしょうか。

つまり、私たちがいるこのコンピュータゲーム、もしくは“仮想現実”の中で、全ての物を構成する最小単位である量子は、私たちによって観測されるまでは、開けられる前の宝箱にある物のように、いくつかの異なる状態で存在しているということです。そして、私たちが観測手段を使って量子の状態を観測すると、つまりその箱を開けて中を覗き込んでみると、量子はその瞬間にとある1つの確定した状態に収縮します。具体的にどのような状態に収縮するかは、確率によって決まります。

確かにこのような考え方で考えてみれば、最初は不思議に思えた量子力学の主張が簡単に理解できるようになりますが、いきなり「私たちの世界はコンピュータのシミュレーションによる仮想現実だ」と言われても、受け入れられるものではありませんよね。確かにこれはクレイジーな考え方です。ただし、この「シミュレーション仮説」を前提とすれば、量子力学における他の不可解な現象も完璧に説明できます。例えば、先ほど量子の性質の1つとして、「粒子と波動の二重性」をご紹介しました。これについても、シミュレーション仮説でずいぶんと納得がいく説明ができます。

二重スリット実験

物理学で非常に有名な1つの実験、「二重スリット実験」から説明を始めてみましょう。

実験は非常に簡単です。

板に2本の非常に細いスリット、切れ込みのような穴を開けて、光で2本のスリットを照らしたら、後ろのスクリーンにどのようなパターンが現れるかを検証する実験です。まだ光の性質が完全に解明されていなかった昔には、光源で2本のスリットを照らすと、後ろのスクリーンには1つ1つの点でできた2本の直線が現れるはずと思われていました。しかし実際に観察されたのは濃淡のある縞模様でした。これは水の波が2本スリットを通過した際にできたパターンと同じであり、波と波の間で起きる干渉によってこのような縞模様ができ上がります。

19世紀に初めてこの実験が行われたあと、人々はやっと光は波であるということを知りました。しかし20世紀に入ってから、アインシュタインなどの物理学者たちの研究から、光は波であると同時に、1つ1つの粒子でもあるということが判明しました。

これが分かった時、研究者たちの頭には二重スリット実験がふと浮かび上がりました。もし光子を1つずつ板に向けて発射すると、どんなパターンが現れるのか、彼らの興味は大きな一歩につながることとなります。一般常識で考えれば、光子が1つずつスリットを通過しているのだから、波と波の間の干渉は起きなくなります。したがって、後ろのスクリーンには1つ1つの点でできた2本の直線が現れるはずです。

しかしおかしなことに、光源の出力を最小限に減らし、確実に光子を1つずつ飛ばしているのにも関わらず、後ろのスクリーンに現れたのが、まだ濃淡のある縞模様だったのです。不思議に思った研究者たちは電子も使って同じ実験を行ってみましたが、やはり光子と同じく、電子を1つずつ飛ばしても、スクリーンに現れるのは縞模様のままでした。そこで、光子や電子がこの時に一体どのスリットを通過したのかを確認しようと思った研究者たちは、次のような実験を設計しました。

実験条件は何も変えないまま、それぞれのスリットの後ろに原子を置きます。こうすることによって、もし光子が左のスリットを通過したら、左側にある原子に軽く衝突し、その原子の運動量に生じるほんの少しの変化が検出されます。同様に、光子が右のスリットを通過した場合、右にある原子の運動量の変化が検出されます。これで、直接に光子に影響を与えず、それがどのスリットが通過したかが分かるようになります。

実験を始めると、まずは想定通りの現象が見られたのですが、それを超える驚くべき現象が起こりました。さきほどもお話しましたが、量子は観測されると、波から粒子に変わります。想定通りというのは、この実験において、原子の運動量に生じる変化の観測は、光子の位置情報の観測にあたりますので、観測されている光子は、粒子の性質を現し、スリットを通過する際の干渉がなくなり、後ろのスクリーンに2本の直線が現れたということです。

しかしながら、観測を始めると、スクリーンにあった縞模様がすぐに2本の直線に変わり、観測を終えると、終わったその瞬間から縞模様がまた現れたのです。光子がまるで意識を持っているかのようにも見えるこの現象は、研究者たちを驚かせました。

真実の目
真実の目

では、なぜ光子は意識を持っているかのように、観測されると粒子の性質を現し、観測されていなければ波の性質に戻るのでしょうか?今から、この不思議な現象をもシミュレーション仮説で解釈してみたいと思います。

とあるシューティングゲームがあるとします。開発者が銃から発射された弾丸をどのようにプログラミングすれば良いか悩んでいます。終始弾丸の速度や位置などの情報を算出し、これらの情報を瞬間ごとにシステムに知らせることができれば、弾丸が敵や障害物に当たった時、システムが瞬時に相応の演出と出力を行うことができます。

これで完璧なように思われますが、問題点として、このやり方は大量のシステムリソースを必要とし、ハードウェアに大きな負担をかけます。1人のプレイヤーだけならまだ問題がありませんが、数千人から数万人のプレイヤーが同時にオンラインで遊ぶ場合、このやり方が要求するリソースは莫大過ぎて非現実的なものになってきます。

仕方ないので他のやり方を考えなければなりません。ここで開発者が弾丸の飛ぶ過程をもう一度分析してみました。弾丸が敵にぶつかるまでの詳細な状態をシステムが算出しても、プレイヤーから見れば、その過程では何も起きていないことと同じですから、これらの算出は全て意味のない無駄な行為になります。ですので、この間の弾丸の詳細な情報を算出しないことが、リソースの節約に繋がります。ただし、詳細な情報を算出しないとは言え、弾丸の進路やスピードなどの情報は保持しなければなりません。

開発者がいろいろと考えた結果、詳細な情報を算出しないと同時に進路やスピードなどの情報も保持するということが実現できるのは、関数しかありませんでした。具体的に、プレイヤーが弾丸を発射した後、システムが弾丸の進路やスピードなどの情報を含む関数を生成します。関数として進行していく弾丸は、進路に障害物や敵などが現れた瞬間、システムがその瞬間の関数の値を算出し、その値をシステムに報告します。そして、システムは弾丸が敵に当たった時の演出などを行います。このやり方は、必要なシステムリソースが非常に少ない上、弾丸の動きも完璧に描写できます。

次に、もし私たちのいるこの世界がコンピュータゲームのような仮想現実であり、この仮想現実もシステムリソースを節約するために、量子の存在状態に対してシューティングゲームの中にある弾丸と同じ仕組みを使用していると仮定した上で、もう一度二重スリット実験を見てみましょう。

光子が観測されていない時は、関数として進行していきます。この時、仮想現実は光子の詳細な振る舞いを算出しないため、光子が2つのスリットを通過する際、具体的にどちらのスリットを通過したかという算出も行われていません。ただし、2本のスリットを通過した後の光子の進路もしくは状態は2つのパターンになるので、その2つのパターンを2つの関数で保持しなければなりません。スクリーンに辿り着くまで、この2つの関数が干渉し合い、結果、スクリーンに干渉による縞模様が現れます。

次に、もし光子の進路に検出システム、例えば先ほどお話した原子の運動量を検出できるシステムを設置すると、仮想現実がこの時の光子の具体的な位置情報を算出し、光子を“具現化”しなければなりません。具現化された後の光子は関数ではなく、弾丸のような粒子の性質を現すため、後ろのスクリーンに2本の直線のパターンを残します。したがって、この過程を人間から見れば、光子は観測されると波の状態から粒子の状態に収縮するという事象に見えるのです。

ここまでがシミュレーション仮説による解釈ですが、偶然にも、量子力学においても光子や電子などの量子の運動状態は、「波動関数」という関数によって表されています。この関数はシュレーディンガーの猫を提唱したシュレーディンガーが発見したもので、量子が観測された時にとある状態を現す確率を算出できます。

このように、シミュレーション仮説は二重スリット実験における不思議な現象を説明できる上、量子力学の理論とも一致する部分があります。ただし、二重スリット実験の不可解なところはまだここで終わりません。この実験にはさらなる不思議な“進化バージョン”があり、この進化バージョンは、未来の出来事が過去の歴史を変えることができるという、いわば因果関係を覆してしまうもっと不可解な事象を示しました。

この進化バージョンというのは、物理学者のジョン・ホイーラーが1978年に提唱した「遅延選択実験」です。当初は技術の制限で思考実験として提案されましたが、その後の技術の進歩によって実験内容とほぼ同じ状況が実現でき、予想通りの実験結果が得られました。

それでは、今からこの実験の詳細を見ていきましょう。

遅延選択実験

レーザー光源で光を発射します。光の進路にはハーフミラーAが置いてあります。ハーフミラーというのは、半分が鏡、半分がガラスでできたものです。光がハーフミラーAとぶつかると、半分はそのまま通過して右へ進み、半分は反射して下へ進みます。そして、それぞれの進路に鏡を1枚置きます。そうすると、2本の光は鏡によって反射し、場所Cで合流します。さらにそれぞれの進路の先に検出器を設置すると、2本の光の強度、すなわち検出器に届く光子の数を検出することができます。

次に、光源の出力を最小限に減らし、光子を1つずつ飛ばしていきます。光子が1つしかないため、ハーフミラーAとぶつかった時、50%の確率でそのまま通過し、50%の確率で反射します。この時の光子がどちらのルートを通過したかは、検出器1と2のどちらが光子を検出したかで分かります。

このように光子の進路が分かる状態というのは、すなわち光子の位置情報が観測されている状態にあるということですから、この時の光子は粒子の性質を現します。

次に、2本の光の合流場所Cで、ハーフミラーBを入れます。こうすることによって、場所Cにたどり着いた光子が50%の確率でハーフミラーBを通過、もしくは50%の確率で反射してから、検出器1もしくは2に届きます。

ただし、ハーフミラーの通過もしくは反射はランダムであるため、この時に検出器にたどり着いた光子はどのルートから来たものなのかが分からなくなります。言い換えれば、ハーフミラーBを入れることによって、光子は観測されていない状態になっています。したがって、光子は粒子の状態から波の状態に変わり、合流場所Cで波の干渉を起こすはずです。

この理屈を念頭に、実際のところ、現実でもこの時光子が本当に波に変わるのか、研究者たちは検証を行いました。もしこの時の光子が波であるのなら、鏡の距離などを調整することによって、検出器1と2に届く光の強度を変えることができます。その理由として、合流場所で干渉が起きているのなら、2つの波の山と谷が同じ位置で出現する時、波の強さが倍になり、検出器が倍の強さを検出します。

一方、2つの波の山と谷がちょうど逆の位置で出現するのなら、打ち消し合うことによって、波が消えることもあり、検出器が検出する光の強度は0になります。そして、実際に研究者たちは鏡の距離などを調整することで、検出器1の検出値を2倍、検出器2の検出値を0にすることができたのです。

これで、この時の光子が確かに波に変わったことが実証されました。ここまでの内容を整理すると、ハーフミラーBがない状態、つまり光子の進路が観測される状態においては、光子は粒子の性質を示し、どちらかのルートだけを通っています。一方、ハーフミラーBを入れた瞬間、光子は波の性質を表し、2つのルートを同時に進行するようになります。その証拠として、合流場所のCで2つのルートから来た光子による干渉が起きていました。

真実の目
真実の目

これはまるで光子が意識を持っているかのように、ハーフミラーBがあるかないかに合わせて、自身の状態を変えているように見えます。ただし、これと似たような現象はすでに二重スリット実験で確認されていたので、これが遅延選択実験の驚きポイントではありません。この実験の本当に不思議なところはここから始まります。

続けて、この状態のまま光子を1つずつ飛ばしていきます。この時の光子は同時に2つのルートを通過し、ハーフミラーBで干渉を起こし、検出器1が2倍、検出器2は0を検出します。

ハーフミラーBが取り外された瞬間、検出器1と2の検出値が同程度になる

そして、次に来る光子が鏡を通過した後、ハーフミラーBに辿り着く前の時点で、私たちはハーフミラーBを取り外します。そうすると、ハーフミラーBが取り外された瞬間、検出器1と2の検出値が同程度になります。これは、ハーフミラーBがなくなることによって、光子が波から粒子に変わったことを意味します。

ただし不思議なのは、今回ハーフミラーBを外したタイミングは、光子が既に波として飛んだ後ということです。普通に考えれば、光子が既に波として2つのルートを同時に進んでいるので、この時にハーフミラーBをなくしたとしても、光子は波のまま終点まで飛ぶはずです。しかし現実には、ハーフミラーBを取り外すという未来で行われた動作が、光子が波として飛んでいた過去の出来事を、言ってしまえば歴史を変えてしまったのです。

この不思議な現象を分かりやすく表現するため、研究者たちは拡大バージョンの思考実験も提案しました。

具体的には、実験条件は完全に同じで、光子の進路の長さだけを光年単位にまで拡大します。光子を1つずつ飛ばしていくと、2年後に検出器1が2倍、検出器2は0を検出します。これは、この状態における光子が波であることを意味します。そして、次の光子が2年近くかけてハーフミラーBにたどりつく1時間前、私たちはハーフミラーBを取り外します。そうすると、光子はその瞬間に粒子の状態に変わり、検出器1と2は同程度の強度を検出します。

これは、ハーフミラーBを取り外すことによって、2年もの間で光子が波として2つのルートを同時に進んでいた歴史が、光子が粒子として1つのルートしか進んでいなかったという歴史に書き換えられたということになります。これは、未来から過去に干渉することはできないという因果関係の大原則を覆したかのような結果となっています。

真実の目
真実の目

現在の量子力学の議論では、まだ遅延選択実験で起きたこの事象を完璧に説明することはできていませんが、ここからはシミュレーション仮説の見地に立って、この不思議な現象を解釈してみたいと思います。

先ほどの話と同じく、光子はゲーム内の弾丸と同じ仕組みを持つものと仮定して分析していきます。光子が観測されていない時、私たちがいるこの仮想現実はシステムリソースを節約するために、光子の振る舞いや位置などの詳細な情報を算出しませんが、2つのルートで進行した際のこの光子の関数を作り出しています。

次に光子の進路にハーフミラーBが出現すると、2つの関数はそこで干渉し合い、結果、検出器1が2倍を検出し、検出器2が0を検出します。もし光子がハーフミラーBに辿り着く前に私たちがそれを取り外したら、この仮想現実のシステムは特に何も反応しません。関数として存在しているこの時の光子は、関数のままで前進していき、検出器と遭遇した瞬間に、仮想現実のシステムが関数の具体的な値を算出します。その結果として、検出器1と2のどちらかが反応します。

私たちからすると、途中でハーフミラーBを取り外した動作が、光子が波として2つのルートを同時に進んでいた歴史を、光子が粒子として1のルートしか進んでいなかった歴史に変えたかのように見えますが、実は、途中でハーフミラーBを取り外そうが、そのまま放置しようが、光子はどの場合においても、最初には関数、すなわち波として飛んでいました。ですので、後でハーフミラーBを取り外すという動作は、何の歴史も変えていませんし、因果関係も覆されていません。

真実の目
真実の目

このように、量子力学における事象は常識の範囲を超えて考えないと非常に理解しにくいので、シミュレーション仮説で量子力学を解釈するという手法も必然的な方法かもしれません。

量子

ここまでは、量子力学のいくつかの奇妙な事象を見てきました。それでは今から、量子世界の地平に降り立って、全ての物事の基盤となるもの、すなわち「量子」自身を見ていきましょう。

この世界の物事にはそれらを構成する最小単位があるという考え方は、量子力学が誕生したきっかけでした。一見大したことのないこの考え方ですが、実は今までの世界観を覆したものだったのです。量子力学が誕生するまでの考え方として、この世界は連続的で、滑らかで、区切りがないと考えられていました。

例えば、時間と空間は滑らかに流れており、どんなに細かく区切っても、その間にはまた無限に多くのポイントがあると考えられていました。この考え方は私たちの直感とも一致しており、長い間、疑いの余地のない真理とされていました。しかし、近代で誕生した量子力学は、エネルギーや物質は1つ1つの量子で構成された断続的で離散的なものだということを解明しました。

これだけでも、この世界がシミュレーションによる仮想現実だという可能性が上がります。その理由として、コンピュータゲームや他のコンピュータシミュレーションでは、物事は断続的で離散的であり、1つ1つの小さい単位に分解できるからです。

例えば、コンピュータゲームにおいては、物体やキャラクターの動きは、多くの非常に小さいステップが1つずつ進むことによって形成されています。そして、画面上のピクセルが集まって、ゲームの世界を私たちに見せています。このように、小さな単位が組み合わさることによって、スムーズな動きや広がりのある空間が生まれてきますが、これらの1つ1つの単位は離散的で断続的です。

量子もまた離散的で断続的である

偶然にも、私たちの世界の基盤である量子も離散的で断続的であることが明らかとなっています。これにより、一部の研究者は、時間と空間も同じく1つ1つの最小単位でできているのではないかと疑問を持つようになりました。もしこれが本当であるなら、この世界が仮想現実である可能性はさらに上がるでしょう。

そして、量子は断続性と離散性という性質以外に、「不確定性」というもう1つの不思議な性質も持っています。私たちは1つのボールの状態を知りたい時に、ボールの位置と運動量を測定すればそれの具体的な状態を知ることができます。これは日常の世界では非常に簡単なことです。しかし量子スケールになると、私たちは量子の状態を知ることが不可能になってしまいます。具体的には、粒子の位置と運動量の両方を完全に確実に知ることはできません。

例えば、量子の位置を正確に測れば測るほど、その運動量が不確かになっていきます。逆も同じです。この不可解な現象の理由について、観測行為自体が量子の状態に影響を与えたために量子の状態が正確ではなくなったこと、もしくは、観測手段の精度が低かったことが原因と考えられていました、現在では、この「不確定性」は観測手段の影響や測定ツールの欠陥が原因ではなく、量子自身が持つ基本的な性質だということが解明されました。

これもまた不思議で仕方がありませんが、量子の他の性質と同じく、「不確定性」についてもまだその仕組みは完全には分かっていません。しかしこれもまた、シミュレーション仮説で解釈すると、クリアな説明ができてしまいます。

コンピュータのスクリーンに、高速で移動している1つ1つの小さい光る点があるとします。私たちが点の位置情報と速度を正確に知りたい場合、点は高速に移動しているので、位置情報を正確に得るためには測定の時間を非常に短くしないといけません。測定時間が短いほど、得られた点の位置情報が正確になります。

ただし、このやり方で位置情報を正確に得ることができても、測定時間が非常に短く、点はほぼ止まっているような状態にあるので、この測定では点の速度を知ることができません。一方、点の速度を正確に知りたい場合、測定の時間を伸ばさなければなりませんが、そうすると、今度は点の位置情報が得られなくなります。

このように、私たちは点の位置情報と運動状態を同時に正確に知ることができません。これは観測手段に欠陥があるからではなく、これらの点自身が持つ性質による必然的な結果です。このような仕組みで映像を表示するデジタル製品は私たちのごく身近に存在しているものであって、今まで不可解で直観に反する気がしていた量子の性質は、コンピュータやデジタル製品の仕組みを使って考えれば、一瞬で理解できるのです。これもまた非常に意味深いことではありませんか?

真実の目
真実の目

ここまでは量子自身の性質を見てみました。次は量子世界のとても有名な現象、「量子もつれ」という現象もシミュレーション仮説で解釈してみたいと思います。

量子もつれ

2022年のノーベル物理学賞は、量子もつれという現象が確かに存在していることの証明に大きく貢献した3名の研究者に授与されました。これで、アインシュタインが「不気味な遠隔作用」と呼んだ「量子もつれ」という現象が再び注目を集めました。これはどういう現象か、簡単に説明します。

1つの量子、例えば1つの電子をある手法で2つに分けます。そうすると、それぞれの片割れの間では、「私たちは元々1つの物だ」という、状態の共有が起きます。例えば、片割れをそれぞれ2つの離れた研究室に飛ばし、研究員が研究室Aにある片割れαを観測し、それが左回転であることが分かった瞬間、研究室Bにあるもう片方の片割れβが、その瞬間に右回転という状態に収縮します。

このように、2つの片割れの状態の共有は、コインの表と裏のように、観測という行為によって1つの片割れが特定の状態に収縮した時に、もう一方の片割れの状態も必ずその瞬間に収縮します。しかも、2つの片割れの距離がどれほど離れていても、例えば1億光年離れていたとしても、この状態の共有は瞬時に起こります。

この光速を超えた状態の共有がまだ実証されていなかった100年前の当時、アインシュタインは量子力学の考え方や量子もつれという現象に強く反対していました。彼が思うには、人間が観測するかどうかにかかわらず、物の状態は客観的な事実として決まっている、人間の観測によって、量子の状態が変わることや、量子もつれにおける2つの片割れが見えない糸でつながっているかのように、状態が瞬時に共有されるなどはありえない、ということでした。

アインシュタインは当時、量子もつれを含む多くの不思議な現象が起きているのは、量子力学という理論自体に欠陥があるからだと考えており、次の言葉を残しました。

「もし量子力学が正しいのなら、我々はこの世界の局所性または現実性のどちらかを捨てなければならない」

そこから100年間の研究を経て、量子もつれ現象が実在していることが実証されただけではなく、量子力学理論自体も欠陥がないと現段階では考えられています。これはアインシュタインの誤りをも意味しますが、彼が残したあの言葉、「もし量子力学が正しいのなら、我々はこの世界の局所性または現実性のどちらかを捨てなければならない」という言葉が非常に興味深く思われてきます。

後者の「現実性」は理解しやすい論点です。つまり、この世界が本当の現実か、それとも偽りの幻か、という意味です。前者の「局所性」の論点を一言で言えば、もし局所性が破れるのであれば、未来の出来事は過去の歴史を変えうることになるという話です。アインシュタインが思うには、量子もつれの実在は、局所性の否定を意味します。ただし、量子もつれの根本的な仕組みはまだ完全に分かっていないものの、それがすなわち局所性を破るものというわけではないというのが現段階の学術的な認識です。こうなってくると、我々が捨てなければならないのは、「現実性」となります。これもまた、この世界がシミュレーションによる仮想現実だという結論にたどり着きます。

この結論については後ほど詳しく語りますので、今はシミュレーション仮説で量子もつれを解釈してみたいと思います。

この世界が仮想現実であるのなら、量子が観測されていない時は関数として存在しているということを、先ほどお話しました。ただし、関数と量子は必ず1対1の関係とは限りません。つまり、複数の量子が1つの関数を持つ場合もあります。なぜこのようなことがあるかというと、またコンピュータゲームを例にしてみることで、分かってきます。

あるゲームの中では、1人1人の兵士を個別で操作することもあれば、数人の兵士を1つのチームに編成して、それらを一斉に操作することもあります。チームに編成された時の兵士たちは、プレイヤーが指示を出した瞬間、全員が同時に動き出します。この時の兵士たちの状態は、1つの同じ関数とリンクされるようになっています。これらの兵士はゲーム世界の中で場所的にどれほど離れていても、彼らは常に状態を共有し、プレイヤーの指示に一斉に反応します。

では、なぜ異なる兵士の状態を1つの関数にリンクさせる必要があるのでしょうか?これも、システムリソースの節約が目的です。チームに編成された兵士集団を1つの関数とリンクさせたほうが、彼らを同時に動かすということをより効率的に実現でき、必要なシステムリソースも少なくなります。

量子もつれ現象における2つの片割れもこのように、1つの関数とリンクされているために、瞬時に状態の共有が起きているのだと解釈できます。量子もつれを含む量子力学における様々な現象をよく吟味すると、宇宙の“創造主“がどうやらできるだけ少ない関数でより多くの現象を発生させようとしていることに思い至ります。これもこの仮想現実のシステムリソースを節約することが目的でしょう。

ここで「創造主」という言葉が出てきましたが、次はいよいよ、この宇宙と宇宙の“創造主”について見ていきましょう。

真相

観測されないと具現化されない量子

今までの話にあったように、人間が量子を観測しないと、それらは粒子という状態に“具現化”されません。ただし、観測という行為は、人間の主観的、ないしは意図的な行為です。主観的な行為が、客観的な存在であるこの世界に影響を与えるということは、まるで魔法の世界のように、目で見たり願ったりするだけで物事を変える魔術と何ら変わりないものにも思えてきます。

この宇宙の基盤となる量子はなぜそのような存在としてこの宇宙にあるのでしょうか?

1つの解釈として、「この世界は、私たちによって観察されているから存在できている」と捉えることができます。逆に、もし私たちが観察しなければ世界は存在しなくなるのか?という問いを立てると、量子力学の観点から、その答えはYESになります。これをさらに展開していけば、宇宙は私たちに観察されるために存在している、という結論が得られます。すなわち、この宇宙に観測行為が存在していないのであれば、全ての量子は永遠に波動関数という形で存在することになり、永遠に粒子状態に収縮しません。そうであれば、星が誕生するどころか、ビッグバンでさえ起きることができません。

そのような状態にある宇宙は、まるでまだ起動されていないコンピュータゲームのように、何もありませんし、どんな出来事も起きません。

では、宇宙は一体どのように“起動”されたのでしょうか?

その答えは、「誰かによって観察されたから」です。ただし、ここの「誰か」は一体誰だ?という疑問がまた出てきますが、その答えは、「あなた」です。この宇宙は、あなたのために存在しています。その理由を今から順を追って説明します。

まずはあなたが誕生する確率を計算してみましょう。あなたの誕生は、数十万年の間であなたの祖先が全員生き残ってきたことが前提になります。これは既に非常に確率の低いことですが、原始地球に存在していた無機物が偶然に有機化合物になり、有機化合物がまた偶然に簡単な細胞構造を構築し、その細胞が数十億年の進化を経てあなたの祖先と言える生き物にまで進化できた確率を加えて考えれば、あなたの誕生は間違いなく奇跡中の奇跡と言えます。

さらにあなたの舞台である地球が誕生する確率、その上、宇宙が現在の形でいられる確率、すなわち全ての物理定数がちょうどいい値にある確率から、あなたが誕生できる確率は限りなく0に近いと判断しないわけにはいきません。そのため、次のような疑問を持つ研究者が多くいます。

「宇宙はなぜ存在しているのか?人間はなぜ存在しているのか?なぜ自分が誕生したのか?」

究極の疑問とも言えるこれらの質問には、現段階ではまだはっきりとした答えがありませんが、1つの可能性として、この宇宙があなたのためにデザインされ、あなたのために存在しているということを仮定することができます。これは決して僕が思いつきで考えたでたらめではなく、宇宙論の分野における「人間原理」が主張する内容です。

具体的には、宇宙のさまざまな基本的な物理定数やパラメーターが、特に人間のような知的生命体の存在に適したように微調整されているように見えるのは、私たちがいるからこそ、そんな宇宙を見ることができると言っているのです。

当たり前のことしか言っていないようにも聞こえるこの理論ですが、その進化バージョンの「強い人間原理」がさらに強烈な主張となって立ち表れてきます。この宇宙で観測される物理定数やパラメーターの値が偶然の結果ではなく、宇宙が何らかの方法で知的生命が出現する方向に進化するように強制されている、ということです。これはまるで、宇宙という存在は、人間のために意図的に作られたかのようにも聞こえます。

真実の目
真実の目

しかしよく味わえれば、この理論における宇宙の存在意義は、コンピュータゲームの存在意義、つまり、コンピュータゲームはプレイヤーのために作られたものである、という意義と似ていると思いませんか?普通の考え方ではありえないこの考えですが、量子力学の観点からは、一理ある考え方です。

量子の波動関数という状態は、必ず「意識」によって感知されて、やっと粒子状態、すなわち具現化された状態に変わります。ですので、「意識」の存在しない世界では、そこには具現化されたものは何ら存在しないということになります。ある意味、意識が誕生・存在していなければ、宇宙も具現化された状態では存在していません。つまり、宇宙は私たちが観察、体験するために存在しているものとも言えます。

仏教の理論には、「色即是空、空即是色」という重要な教えがあります。この言葉は、すべての現象や物質(色)は根本的には無常であり、本質的に空であることを示しています。そして、その空もまた、現象や物質と密接に関連していると述べています。

この教えは、人々が物事に執着しないで、無常や無我の真理を理解することで、苦しみから解放されるものと一般的に解釈されていますが、まったく別の視点からは、世界の本質を悟った仏陀が、当時の人々に分かりやすい言葉でこの宇宙の基盤となる量子世界の法則を説明していたのではないかという解釈も考えられます。

真実の目
真実の目

これについてはまたいつか1本の動画にまとめるつもりですが、ここからはいよいよ今回の旅の終点を迎えましょう。もし私たちは本当に仮想現実の中にいるのであれば、本当の現実世界に我々は行けるのか?そして、なぜこの仮想現実が創造されたのか、何のために創造されたのか?を見ていきましょう。

仮想現実

本当の世界というものに果たして到達できるかに関しては、私たちがいるこの仮想現実の仕組みによって答えが変わりますが、もしこの仮想現実に飛び込んだのが我々自身の意思による行為であるのなら、仮想現実における旅が終われば、私たちは元の現実世界に戻るでしょう。この場合、自らの意思で仮想現実に入ったため、その目的は「体験」や「娯楽」などが考えられます。この場合、私たちのいる仮想現実は、まさにゲームと同等の存在と考えられます。

ただし、もし仮想現実に飛び込んだのが我々自身の意思による行為ではないのであれば、誰かによって何らかの理由で強制的にこの仮想現実に我々が閉じ込められたという可能性が考えられます。映画『マトリックス』はまさにこの場合の話をしています。この場合なら、おそらく私たちは元の現実世界に戻ることが非常に困難でしょう。

そして、もう1つの可能性として、この仮想現実にいるのは、我々がここに飛び込んだのではなく、最初から私たちはここの“住民”であるという可能性です。この場合は言うまでもなく、私たちは一個上の現実世界に戻ることができません。これは、ゲームの中のキャラクターがスクリーンから出てくることができないのと同じです。

では、これらのケースのうち、どれが最も可能性が高いかというと、僕は、我々は最初から仮想現実の住民である可能性が高いと考えています。

1つの根拠となるのは、宗教というものの存在です。我々の世界が仮想現実なら、この世界を創造した1個上の世界が存在することを意味します。そして、人類が誕生してから割とかなりの初期に、宗教という概念が早々に誕生しました。

宗教は根本的には、私たちより高いレベルにいる者を信仰するために存在しています。その“高いレベルにいる者“というのは、“神”や“創造主”であり、この世界を創造した者とされています。なぜ人類は自分とこの世界が誰かによって創造されたという考え方を最初から持っていたのかについて、従来言及されている1つの解釈として、大自然の力があまりにも強大すぎて、それらを目の当たりにした昔の人類が、高いレベルにいる者を想像し信仰するようになったという解釈はもちろん筋が通っているものです。

しかし科学技術が高度に発達した現代でも、人々はまだ宗教から離れようとしません。その根本的な理由はやはり、人類は、自分とこの世界がどうやってできたのかが分からないからです。私たちのこの世界が仮想現実であるかどうかを判断するためには、私たちもコンピュータシミュレーションで1つの仮想現実を作れるかを検証することで確実に答えが出てくると想定できますが、最近のコンピュータや人工知能の発展から、そのような仮想現実の実現可能性は徐々に高くなってきています。

話は少し量子力学から離れてしまいましたが、科学はこの宇宙の真相を探究するために営まれてきたものなので、この宇宙の真相がどんなものであろうと、最終的には科学が必ず何らかの形でその究極の真相に辿り着くでしょう。それでは、今回の長い旅を最後まで付き合ってくれた皆さん、ありがとうございました。

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