「超古代地図の記録」1万年前に衛星軌道から地球を観察した者は誰?

ミステリー

はじめに

オーパーツとして有名な物の1つである「バグダッド電池」

皆さんは、「オーパーツ」という言葉を知っているかと思います。その時代の文明にそぐわない物、その時代の技術では到底発明、開発することができない物のことを指しています。古代エジプトの黄金ジェット、古代インドのヴィマナの設計図、バグダッド近郊で発掘されたバグダッド電池。これらはオーパーツの中でもとりわけ有名な物として知られています。今回ご紹介する3つの古代地図は、どれもこれらのオーパーツのレベルを超え、人類の歴史を覆すものだと言えるでしょう。それでは早速、存在するはずのない古代地図を見ていきましょう。是非最後までお付き合いくださいね。

オロンス・ファインの地図

オロンス・ファインが描いた地図

こちらの地図は、フランスの数学者・天文学者であるオロンス・ファインが、1531年に描いた物です。この地図は、南極大陸と北極を中心として、各大陸の地形をまとめてあります。ここだけでも、既に違和感を持つ方もいるかと思います。なぜなら、私たち現代人類が南極大陸の存在を初めて知ったのは、1820年だからです。

真実の目
真実の目

イギリス、アメリカ、ロシアの3人の探検家がそれぞれ、南極大陸の遠く離れた場所から氷の固まりを発見したのがきっかけでした。ただし、氷の下に陸地が存在していることが判明したのは、それからさらに数十年後のことでした。ですので、この1531年に完成された地図に、南極大陸がこんなにもはっきりと描かれているのは、とてもおかしなことです。

大昔のヨーロッパでは、南半球に未知の巨大な大陸が存在するという言い伝えがありますので、オロンス・ファインはその言い伝えの内容からこの地図を描いた可能性も考えられます。しかし、オロンス・ファインが残したノートから、その可能性が否定されました。

現代の地図と高度に一致しているいくつかの大陸

ノートの内容によると、彼はいくつかの古代地図を参考にしてこの地図を描いたそうです。これは興味深く、また後で詳しくお話ししますが、まずはこの地図を詳しく見ていきましょう。

南極大陸の周りにある、アフリカ大陸、マダガスカルと南米大陸の形は、現代の地図と高度に一致しています。しかし、他の大陸の面積と比較すると、この地図の南極大陸の面積は、現代の地図の南極大陸より2倍ほど大きく描かれています。やはりこれは古代ヨーロッパに伝わっていた言い伝えから影響を受けたオロンス・ファインの妄想なのでしょうか?

まだその結論を出すのは早いかもしれません。面積のことは一旦置いておいて、次はその形から、現代地図にある南極大陸と比較してみましょう。

南極大陸を比較すると似たような地形が多い

御覧の通り、両者とも、東側にある大きな部分と西側にある小さな部分で構成されています。東部の外側は円弧状で、その4分の1くらいの位置に、大きな凹みがあります。円弧の終点も、両者共に、ほぼ90度の位置となっています。さらに細かいところを見てみると、似たような形をたくさん発見することができます。

もちろん、異なっている部分も多くあります。例えば、現代の地図にあるここの部分は、オロンス・ファインの地図にはありません。しかし、面積や形などの違いが所々あったとしても、先ほどお話ししたような細かいところまで似ている箇所が多いことから、この地図が妄想や言い伝えによって作成された物である、と言う事はできないのではないでしょうか?先ほどもお話しした通り、この地図はオロンス・ファインがいくつかの古代地図を参考にして描いたものです。その古代地図から転記の過程においてミスが起きた可能性は十分に考えられます。

また、地形とは別に、この地図にはもう1つの大きな謎が潜んでいます。それはこの地図に描かれている南極大陸は、氷に覆われていないという事です。さらに、山脈の形まで描かれています。近代の研究結果によると、南極大陸は段階的に氷に覆われ、今日の様な氷の大陸になったのは、約6000年前だったということです。

ですので、もしこの地図が本当に古代地図を参考にして描かれたものであれば、それらの古代地図が描写しているのは、6000年前より以前の地球だという可能性が出てきます。その当時、人類はまだ文字も使用していなかったのに、誰がこのような世界地図を作ったのでしょうか?その答えは投稿の最後に出ています。では、2枚目の地図を見て行きましょう。

天下全輿総図

2006年に「エコノミスト」誌に発表された記事

イギリスの「エコノミスト」誌は2006年、とある記事を発表しました。

「中国はコロンブスよりも早いのか?」

この記事では、1枚の不思議な古代地図が紹介されていました。その地図は2001年に中国上海の骨董市で5万円という価格で展示され、それが世に知られるきっかけとなりました。それに描かれた内容があまりにも不思議であったことから、その後、様々な調査や研究のターゲットになりました。

1418年に作成された1枚の古代地図の複製と記されている

まず、地図上に記載された作者のメモから次の情報が分かります。この地図は1763年に完成されたもので、描かれている内容は、1418年に作成された1枚の古代地図の複製だということです。皆さんは「1418年」というキーワードを意識しながら次の内容を聞いてください。

地図には、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、北米、南米などの地形と太平洋、インド洋、大西洋と思われる海洋が描かれてあり、さらに南極大陸もしっかりと描かれています。描かれている多くの地形は、南極大陸はもちろん、他の物も、公認されている歴史より数百年も早くなっています。

当時の古代中国は、「天円地方」という宇宙観を持っていました。つまり、その時の中国は、天が円形で、大地は平面だと考えていました。しかし、この地図ははっきりと、地球の丸い形を表現しています。あまりにも常識とかけ離れていることから、この地図は、現代において作成された模倣品だと思われていました。

しかしその後、地図の持ち主はケンブリッジ大学の研究者の紹介で、ニュージーランドのワイカト大学に、地図に含まれる物質に対する放射性炭素年代測定を依頼しました。

測定の結果、なんと地図の紙もインクも、確かに18世紀の物だと推測されました。この結果は大きな注目を集め、学者たちはもう一度この地図に関して研究をし始めました。しかし、紙とインクは18世紀の物であると判定されたとは言え、地図に描いてある内容も同時期に作成されたものとは限らない、という意見を持つ学者が大半です。なぜなら、18世紀の紙とインクを手に入れれば、このような偽の古代地図の作成は可能だからです。ですので、この地図に関する議論は今でも続いています。

真実の目
真実の目

個人的な意見としては、単独の事例として見た場合、確かに地図に描いてある内容はあまりにも現代っぽく見えます。しかし、先ほどご紹介したオロンス・ファインの地図と一緒に見てみると、幾つかの共通点を発見できます。2枚の地図ともに、南極大陸が描かれており、その当時よりもかなり古い時代の古代地図を参考にして描かれていました。次にご紹介する3枚目の地図も、同じくこのような共通点を持っています。

ピーリー・レイースの地図

ピーリー・レイースの地図

ピーリー・レイースの地図は比較的有名なので、ご存じの方もいるかと思います。この地図は、オスマン帝国のピーリー提督という人物によって1513年に作成されたもので、現在はイスタンブールのトプカプ宮殿に保管されています。残念ながら、現物は半分以上が失われていますが、それでも十分に驚くほどの内容が確認できます。

まず、作者のメモから分かったのは、この地図は20枚の古代地図を参考にして描いた物だということです。地図の右部分にはアフリカの南西海岸、左下部分には南アメリカの東海岸が描かれています。地図の一番下部分に描かれている地形は、どこの海岸線とも一致していないので、長い間謎のままでした。

チャールズ・ハップグッド教授は考古学の専門家です。彼はこの地図を研究した時に、この謎の海岸線は、南極大陸にあるプリンセス・マーサ海岸の海岸線ではないかという仮説を立てました。しかし問題は、このプリンセス・マーサ海岸は厚さ1600メートルの氷に覆われており、私たちがこの海岸線の形を知ったのは、リモートセンシング技術のおかげでした。

調査手段のない古代人類が、この海岸線の形を知るわけがありません。しかし、調査する価値はあると思い、ハップグッド教授は知り合いのアメリカ空軍のHarold Ohlmeyer大佐に、自分の仮説について意見を伺いました。大佐からの返信はこうでした。

「地図の下部分に描かれている海岸線の形は、1949年のイギリスとスウェーデンの合同南極探検隊による計測結果と高度に一致しています」

これでハップグッド教授の仮説が正しいという可能性が一気に高まりました。さらにその後の研究でもう1つの不思議な事実が発見されました。

この地図に描かれている地形には、少し歪みが見られます。このような歪み方は、現代の地図に使われている図法の一つである「正距方位図法」によって描かれた歪み方と非常に似ています。別の言い方をすると、この地図は、上空で観測を行い、その観測データを用いて作成された現代の地図の歪み方と似ているということです。

先ほどもお話しした通り、この地図はピーリー提督が1513年に20枚の古代地図を参考にして描いたものです。つまり、参考元の古代地図が、上空での観測結果を用いて作成された可能性があることを意味しています。

アメリカ空軍は、上空で観測されたデータを用いて、エジプトの首都、カイロを中心とした一枚の世界地図を作ったことがあります。2枚を比較してみると、非常に似ていることが分かりました。ただし、ピーリー提督の地図にある南アメリカ大陸の長さは、アメリカ空軍の地図より少し短くなっています。これは、ピーリー提督が参考にした古代地図は、アメリカ空軍よりも高い上空での観測データを使用したことを示唆しています。

もしこれが事実であれば、アメリカ空軍の飛行機よりも高い場所とはどこなのか?はっきりしたソースは見つかっていなく、信憑性がどのくらいあるのかは分かりませんが、人工衛星が撮った地球の写真にある各大陸の歪み方や位置は、ピーリー提督の地図で見られた歪み方や位置と高度に一致しているそうです。超古代に誰かが地球の衛星軌道から地球を観測したのか?という疑問になりますが、その可能性はゼロではないと僕は思います。では、僕の個人的な推測を述べたいと思います。

真実の目の見解

様々な研究結果から、私たちが「文明」と定義できる文明の出現は、約6000年前でした。ただの偶然かもしれませんが、冒頭でもお話しした通り、南極大陸が完全に氷で覆われたのも、約6000年前でした。これらの古代地図の存在と一緒に考えてみると、この6000年前のある時点で、1つの大きなできごと、「文明の交代」が起きたのかもしれません。

つまり、私たちの現在の文明レベルに負けない高度な古代文明は、6000年前の時点で何らかの理由で地表から姿を消し、その直後に私たち人類が登場しました。しかし、私たちは先代文明から何も引き継ぐことなく、ゼロの状態からのスタートでした。その先代文明がどのような理由で消失したのかについてですが、以前の月に関しての動画や投稿でも少し触れていました。機会があれば、いつかまた1本の投稿もしくは動画で詳しく語りたいと思っています。

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