【ダイヤモンドの本当の価値】70億人を100年間も騙してきた今世紀最大のイメージ操作とは?

世界の真相

はじめに

もしあなたがダイヤモンドを買ったことのある方でしたら、まず一言。あなたは騙されたのです。今回お話しするのは、ダイヤモンドにまつわる、人類のマーケティング史上比類のない、100年掛かりの伝説的な超巨大詐欺です。

ダイヤモンドと聞いて、ほとんどの人が最初に浮かべるイメージは、「高価なもの」ではないでしょうか。種類や質にもよりますが、1カラット、つまり0.2gのダイヤモンドの値段は数十万円から数百万円に上る場合もあります。他方、金の相場はこの20年で上昇し続け、2023年も過去最高値を更新していますが、それでも0.2gで2000円くらいです。このように、ダイヤモンドの価格は、金や他のジュエリーと比較しても圧倒的に高いため、ダイヤモンドは「ジュエリーの王様」と呼ばれます。確かにダイヤモンドは非常に美しく、ジュエリーとして魅力的です。ただし、金を含むほかのジュエリーよりも桁違いに高い理由について、一般人の誰も、深く追求したことはないでしょう。「ダイヤモンドは高いものだ」というイメージは、当たり前のように人々の認識に根付いています。しかし、ダイヤモンドの真の経済的価値は、現在の流通価格の数百分の1しかなく、現在の高すぎる価格は、完全にマーケティング戦略と独占的な供給体制によるものです。もっと言うと、これらは全て一企業の手によって仕組まれたものです。具体的にどういうことなのか、少しダイヤモンドの歴史を遡って見てみましょう。

ダイヤモンドの歴史

人類がダイヤモンドと出会った歴史は非常に古く、古代ギリシャ時代の人々はインドからもたらされたこの美しく硬い石に「Adamant(アダマント)」という名前を付けました。この名前は、「征服されざるもの」「何よりも強い」ということを意味するそうです。歴史上長らく、ダイヤモンドはその美しさと硬さ、そしてその希少性から、確かに価値の高いものであり続けました。現代に至り、百数十年ほど前までの時点で、ダイヤモンド鉱山はインダス川流域にある数か所しかなく、年間の生産量はわずか数キログラムでした。このような状況がずっと続いていたのであれば、ダイヤモンドがその希少性から高価な値段を付けられるのは特におかしくありません。

しかしながら、19世紀の末期から、状況は変わり始めました。1870年、南アフリカの北ケープ州で、とある農夫が自分の農場で、子供たちが本物のダイヤモンドで遊んでいることに気づきました。これはダイヤモンドの歴史を変えた出来事です。人々はその地域で巨大なダイヤモンド鉱山を発見し、そのうちの「ビッグホール」と名付けられた1箇所だけでも1400万カラット以上、すなわち2800キログラム以上のダイヤモンドを採掘しました。南アフリカで発見されたそれらの鉱山がもたらすダイヤモンドの量は、それまでの年間数キロの産出量と比べれば、フリーターが宝くじを当てたようなものでした。しかし、大鉱山を発見した者たちはすぐに興奮から冷めました。彼らは、「この大鉱山の発見は果たして本当に良いことなのだろうか」と悩み始めました。なぜなら、これまでダイヤモンドが極めて高い価値を持っていた理由が、この発見によって奪われることになると危惧したからです。

ダイヤモンドが価値を持つそもそもの理由は2つありました。1つ目は見た目が美しいこと、2つ目はその希少性です。ジュエリーとして、ダイヤモンドはもちろん非常に見栄えが良いですが、見た目だけならダイヤモンドに負けない物はほかにもたくさんあります。もっと言えば、価格という要素を考えなければ、ガラスでも見栄えの良い美しい宝飾品を作ることができます。ですので、ダイヤモンドに価値を与えている本当の要素は、その希少性です。希少性を失ったら、ダイヤモンドのこれまでの価値もなくなります。

例えば、真珠はそれに似た良い例です。真珠には美しい光沢があり、天然だと産出が稀であるため、貴重な宝石として昔は非常に高い値段が付けられていました。 しかし、養殖真珠の技術が発達し、養殖真珠と天然真珠には全くと言ってよいほど違いが無いことが世の中に知られると、真珠の取引価格は暴落しました。それと同じく、南アフリカで発見された大鉱山にあるダイヤモンドの量は、今までのダイヤモンドの希少性を著しく損なうものです。ですので、当時の宝石商の多くは、ダイヤモンドビジネスを諦めました。これからダイヤモンドの生産量が大幅に増加し、それに伴い、ダイヤモンドの取引価格はガラスと同レベルに下落するだろうと彼らは予想したのです。しかし、結果は皆さんもご存じの通り、宝石商たちが予想していた事態は起こりませんでした。

デビアス

このとき登場した「デビアス」という会社は、1つの壮大な計画に取り掛かりました。1880年、セシル・ローズというイギリスの実業家は、宝石商数社と手を組み、全財産を注ぎ込んで南アフリカのダイヤモンド鉱山を買い取り、「デビアス鉱山会社」を設立しました。1888年、デビアス鉱山会社は、19世紀の地球上で最も裕福な一族と言われる「ロスチャイルド家」の援助を受けて、当時のダイヤモンド生産の世界シェアを9割も握ることに成功しました。その後、彼らは当時の人々から見て予想外の行動に出ました。デビアス社はダイヤモンドの生産量を大幅に減らし、同時に市場に出まわるダイヤモンドの量も厳しく管理しました。僅か3年間で、当時のダイヤモンドのグローバル生産量は2200万カラットからたったの1.4万カラットに縮小しました。これこそが、設立当初からデビアスが展開しようとしたビジネス戦略です。

つまり、ソースを独占、生産を制御することによって、ダイヤモンドの希少性を維持し、その価値と価格を高水準に守り続けるという戦略です。

19世紀末に始まったデビアスのこの戦略は、40年間ほどうまく続きましたが、第一次世界大戦の影響で、メインマーケットのヨーロッパ市場では、ダイヤモンドの価格が大幅に下落しました。ヨーロッパ市場の低迷を受け、デビアスは最も見込みのある市場としてアメリカに目を向けました。1938年、デビアス社はアメリカの広告会社と契約を結び、アメリカ市場におけるダイヤモンドの新たなマーケティング戦略を展開することになりました。

イメージ操作

まず、広告会社は多数の小説家や作家を雇い、彼らに大量のラブストーリーを書かせました。具体的にどのような物語かは重要ではなく、最も大事なのは、ストーリーの中に必ず次のようなシーンが入っていることです。男女の主人公が最終的に結婚し、男性主人公は愛の証として女性主人公にダイヤモンドの指輪を贈る、というものです。

現在でもよく見る「プロダクト・プレイスメント」というこの広告手法は、当時においては革新的であり、その効果は非常に大きいものでした。

そして、デビアスはアメリカのスターや有名人のスポンサーとなって、あらゆる面で彼らを支援していました。その代わりに、彼らは公の場で必ずダイヤモンドの指輪を付けて活動すること、結婚するときに必ず公の場でダイヤモンドの指輪でプロポーズをすることを約束させられました。もちろんデビアスと契約を結んだ数々の広告会社も懸命にこれらのイベントを写真なり記事なりに仕立てて、有名人たちがつけているダイヤモンドの指輪をしっかりと人々の目に届けました。

現在でもよく耳にする「ダイヤモンドは永遠である(A Diamond Is Forever)」というスローガンは、当時デビアス社の依頼を受けたアメリカの広告会社、N.W. Ayer & Sonが考えたものです。このような手法で宣伝を行っていくうち、ダイヤモンドは徐々に単なる宝石から、「永遠の愛の象徴」、「愛の必需品」、「愛の証人」に変わり、いつの間にか、多くの女性がダイヤモンドのない愛は不完全であると信じるようになりました。このように、デビアス社の販売促進戦略は大成功を収め、同社がアメリカで販促活動を開始して僅か3年後、アメリカでのダイヤモンドの売上は105%も増加しました。もちろんその取引価格は従来通り高価なままでした。しかし、1950年代に入ると、ダイヤモンド産業は再び劇的な変化を迎えることとなります。

1955年、当時のソ連の地質学者が、シベリアの荒野には豊富なダイヤモンドが蓄えられているのではないかと予測し、研究と探査が進むにつれ、この予測は現実となり、世界最大規模のダイヤモンド鉱脈が発見されました。この「ミール鉱山」と呼ばれる鉱山は現在世界最大級のダイヤモンド鉱山であり、南アフリカで発見された鉱山に匹敵するものです。ミール鉱山の発見は、世界のダイヤモンド生産に大転換をもたらし、その膨大な産出量はデビアスの独占を完全に打ち砕くものでした。 その時のソ連はデビアスのように、ダイヤモンドの生産を独占し、ダイヤモンドの高価を維持し続けるような長期的なビジネス戦略を全く持っていませんでした。彼らはただ、とにかく採掘した大量のダイヤモンドを国外に投げ売りして大儲けをしようと考えていました。デビアスは自身に破滅的な影響をもたらすソ連の意志を察知すると、大急ぎでソ連と交渉し、ミール鉱山が生産する全てのダイヤモンドを受け入れることを約束しました。その代わりに、ソ連にダイヤモンドの減産も求めましたが、優位な立場に立つソ連は逆に増産を決定しました。この時のデビアスは仕方なく、ソ連産のダイヤモンドを全て買い取るしかありませんでした。

ミール鉱山は大量のダイヤモンドを産出しましたが、その品質は全体的に低いものでした。これらのダイヤモンドのほとんどは、1カラットにも満たない小さな砕片で、加工した後はさらに小さくなります。これらの小さなダイヤモンドをどのように販売するかはデビアスにとって大きな課題でした。慎重に検討した結果、デビアスは、「ダイヤモンドは大きければ大きいほど良い」という趣旨を強調していた従来のマーケティング戦略を一新しました。その後の新しいスローガンは、「小さなダイヤモンドも、高度なカッティング技術により、大きなダイヤモンドと同等の価値を持つ」というものになりました。

デビアスはこのブランディングの転換とともに、ダイヤモンドの4C、つまり、カット、カラー、クラリティ(透明度)、カラット、という評価基準を懸命に推進しました。デビアスが4C基準を大きく推進した理由はただ1つ、小粒のダイヤモンドを市場に出すためです。4C基準の中で、ダイヤモンドの大きさを示すカラット数はもちろん重要な要素ですが、それ以外、カット、クラリティ(透明度)、カラーもダイヤモンドの価値を決める要素となりました。この新たな評価基準により、ダイヤモンドの価値を高めるためのさまざまなカット方法が生まれました。

しかし、一般人にとって、4C基準が定めたこれらのテクニカルな要素を理解し、目の前のダイヤモンドにどれほどの価値があるかを判断する能力はありません。もちろんデビアスもこれをよく知っています。そこで、それ以降のダイヤモンドには、鑑定書を添付するようになりました。この鑑定書は、ダイヤモンドのIDカードの役割を果たし、そのダイヤモンドのさまざまな特徴を詳しく説明しています。これは、ダイヤモンドの品質を保証するという意味を持つだけでなく、購入者に価値の高い宝石を購入しているという安心感を与えるものにもなっています。このような戦略により、大粒のダイヤモンドは富裕層、小粒のダイヤモンドは一般消費者をターゲットとし、ダイヤモンドはあらゆる階層に受け入れられるようになりました。

このようなマーケティング戦略は小粒のダイヤモンドを売りさばく上で功を奏した一方、消費者のダイヤモンドに対するイメージを望ましくない方向に変えてしまいました。誰でも少し頑張ればダイヤモンドを手に入れることができるという状況に加えて、長年に渡って大衆の目に届けられてきた多すぎる広告や宣伝は、ダイヤモンドの高級感を徐々になくし始めたのです。アメリカの中間層でさえ、ダイヤモンドが自分にふさわしくないと感じ始めるなど、予想外のイメージ低下の状況を受け、デビアスは宣伝の焦点を女性から男性に傾けました。その後の広告では、ダイヤモンドはいつもリムジンや別荘などを持つ男性と一緒に出現するようになりました。また、アメリカ市場だけではなく、1960年頃から、このようなダイヤモンドの広告が日本でも現れはじめ、その中でダイヤモンドを身につけたモデルが登場し、高級スーツを着ていたり、ヨーロッパ風の高級住宅に住んだりして、当時の日本人の心理に合わせ、ダイヤモンドは高級感を持つ婚約の必需品であるというイメージを人々の心に植え付けました。

さらに、70年代の後半に、デビアスのマーケティング・リサーチ部門はある興味深い現象を発見しました。女性はダイヤモンドを欲しがっているにもかかわらず、パートナーから「ダイヤモンドを買おうか」と聞かれた時、多くの女性は高すぎるという理由で、買わなくていいと返事をする傾向がありました。これに対し、パートナーが内緒でダイヤモンドの指輪を買ってくれた経験のある女性によると、彼女たちは指輪をもらった時に大喜びしたというケースがほとんどでした。

この現象を知ったデビアスは、それ以降の広告の中で次のようなシーンを追加しました。男性がダイヤモンドの指輪を背中に隠し、キャンドルの灯るディナーの席で突然それを取り出します。女性は目に涙を浮かべながらダイヤモンドを受け取り、プロポーズを受け入れるというものです。これらのロマンチックな広告の影響によって、「ダイヤモンドは贈り物として究極のサプライズであり、愛とコミットメントの象徴だ」というメッセージが強化されました。さらに、広告では、このサプライズの瞬間が「最も価値のある瞬間」であると強調され、ダイヤモンドの価値は単なる物理的な特性だけでなく、感情や思い出にも関わる、という新たな価値観も提案され、それから現在に至るまで、「プロポーズ=ダイヤモンドの指輪」という印象が人々の頭に強く植え付けられています。

では、これらの巧妙な宣伝やマーケティング戦略、そして独占体制によるダイヤモンドの生産量削減がもし行われていなかったと仮定したら、ダイヤモンドの価値は一体どれほどのものなのでしょうか?

ダイヤモンドの真の価値

ダイヤモンドは炭素でできています。鉛筆やシャーペンの芯の材料である黒鉛も炭素でできています。ダイヤモンドと黒鉛がまったく異なる性質を持つ理由は、炭素原子の配列の違いにあります。炭素は自然界に非常に多く存在するため、ダイヤモンドの希少性は炭素という元素の希少性によるものではなく、ダイヤモンドを構成する炭素原子の配置が特殊であるという性質ゆえに、自然界に存在するダイヤモンドの量が少ないというだけなのです。

ダイヤモンドと異なり、金はその元素自体の希少性のみからその価値を得ています。金という元素は地球上に少ないというだけでなく、宇宙全体でも非常に稀な元素です。そのため、金は本当に希少価値のあるものです。しかし、ダイヤモンドを構成する炭素という元素は簡単に入手できますので、人工的な技術を使って炭素原子を特定の形に並べるだけで、ダイヤモンドを手に入れることができます。実際、技術の発達した現代では、人工ダイヤモンドの製造はますます容易になっています。かつては、人工ダイヤモンドは主に工業分野だけで使われていましたが、技術の進歩に伴い、天然ダイヤモンドに劣らない透明度と色を持つ人工ダイヤモンドが実験室で合成されるようになっています。アメリカの研究者たちが実験室で合成した人工ダイヤモンドを鑑定機関に持ち込んだ結果、なんと20万ドルという高価格の見積もりを提示されたという話もあります。これらのことから、マーケティング戦略と独占による生産量の削減という要素がなければ、ダイヤモンドの取引価格はそこまで高くないはずです。

実は今の市場の様子をよく観察すると、ある程度この点を証明できます。インフレが起きた国では、人々はよく金などの本当に価値のある貴金属を購入し、資産を保護しようとします。なぜなら、通貨の価値が下落しても、金の価値は維持するという特性があるからです。一方、ダイヤモンドを購入して資産を保護するというやり方はほぼ見られません。たいていのジュエリー・ショップでは、金やジュエリーの買い取り額は明記されていますが、ダイヤモンドの買い取り額は明記されていません。多くのジュエリー・ショップにおいてダイヤモンドは委託販売されるものであり、ジュエリー・ショップがダイヤモンドを顧客に売ってから、ダイヤモンド業者に売り上げの一部を支払うという仕組みになっています。そのため、ジュエリー・ショップがダイヤモンドを買い取るためにお金を出す理由はありません。

一方、質屋ならダイヤモンドを買い取ってくれますが、その価格はとんでもなく低く、普通の小粒のダイヤモンドなら、ほとんどの場合は新品購入時の価格の数十分の一しかありません。イギリスのとある雑誌が実施した実験によると、彼らは1970年にダイヤモンドを745ポンドで購入しましたが、1971年にそれを売ろうとした時に提示された最高価格は400ポンドでした。1974年にその雑誌はまた別のダイヤモンドを2595ポンドで購入し、1週間後にそのダイヤモンドを売ろうとした時に提示された最高価格はわずか800ポンドでした。もしダイヤモンドが本当に価値の高いものなら、経済市場でこのような扱いを受けることはありえません。

人工ダイヤモンド技術が進化した現在では、デビアスはまたスローガンを「REAL IS RARE. REAL IS A DIAMOND.」というものに変えています。その意味は明白で、天然ダイヤモンドだけが真のダイヤモンドだということです。しかしそれと同時に、デビアスは人工ダイヤモンド産業にも進出しており、そこで立ち上げた人工ダイヤモンドの新しいブランドの価格は、天然ダイヤモンドの十数分の一しかありません。人工的に作り出したものをダイヤモンドとして販売するこの行動は、「REAL IS A DIAMOND」という自らが提唱したスローガンとまったくもって矛盾していますが、天然ダイヤモンドの価格崩壊を予想した、予防的な行動だったと推定できます。

100年の間、ダイヤモンドは愛情と永遠の象徴という地位を強固にし、多くの人はそれを手に入れるために多大な金額を支払ってきました。このマーケティング戦略と独占体制を利用した「100年間のイメージ操作」は見事な大成功を収めていますが、ダイヤモンドのバブルはそのうち崩壊するでしょう。しかし、もしそのような金銭的な数字に少しも心を左右されることなく、ただ純粋にこの美しい石によって安堵感や幸せを感じることができたのなら、それがあなたにとってのダイヤモンドの真の「価値」なのかもしれません。

それでは、今日もありがとうございました。

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