人間は本質的にゾンビと同じ?自由意志が存在しない理由とは

生命体の不思議

私たちは自由意志を持たない、ただのゾンビに過ぎない。真実の目へようこそ。

はじめに

今、スーパーで買い物をしているあなたは、たまたま白ワインのボトルを手に取り、カゴに入れました。その選択は完全にあなた自身の意志によるものだと、 当然のように思うかもしれませんが、実は違います。脳波計を使用すれば、スーパーに入る前の時点で、あなたが後にその白ワインを買うと予測することが可能です。私たち人間は、自由意志を持たない、ただ既定のシナリオを経験するだけの存在なのです。さらに、この宇宙全体も、ビッグバンが起きたその一瞬の後、全ての事象の運命は既に決定されているのです。今回は、なぜ私たち人間は自由意志を持っていないのかついて深掘りしていきたいと思います。以前にも自由意志をテーマとしてお話ししたことがありますが、今回は新しい気づきを加えた、さらに探求的な内容になっています。

ぜひ、最後までお付き合いくださいね。

自由意志に関する実験

現在の常識では、人間は自発的に“意志”を生み出すことができるとされています。私たちのあらゆる決断や行動は、これらの自発的に生み出された“自由意志”によるものだというのが、一般的な認識です。しかし、人間は果たして本当に自由意志を持っているのだろうかという問いは、古代の哲学者から現代の科学者までをも巻き込んだ、数千年に渡る議論として未だに続けられています。1980年代、生理学者のベンジャミン・リベットは、脳波計(EEG)を使用して人間の自由意志について調査しました。その実験結果は驚くべきもので、なんと人が「体を動かそう」という意志を思い起こす0.3秒前に、脳が肉体に対して既に「体を動かせ」という命令を出していたのです。

さらに、2008年に韓国の神経科学者、Chun Siong Soonも自由意志の存在に関する実験を行いました。この実験で、被験者は自分の意志に基づいて、二つのボタンから一つを選び、自由なタイミングでそれを押すように指示されました。その間、研究チームはfMRIで被験者の脳をスキャンしながら、そのデータから被験者がどのボタンを選ぶのかを予測してみました。するとなんと、被験者が選ぶボタンをほぼ毎回正確に予測することができ、さらにそのうち2名の被験者に対しては、7秒から10秒前に正しい予測結果を出していました。

これらの研究結果は、次のようなことを意味します。すなわち、「手をあげよう」、「青いボタンを押そう」といったあらゆる行動への意志が生まれる前に、実は、その決定は既に終わっています。人はただ、脳の決定事項を後で感じ取り、それを自分の自由意志だと思い込みながら、その決定事項を実行していただけ、ということです。一方、脳の活動が意識的な決定より先行するとしても、それは自分自身の一部である脳が生み出しているものだから、自由意志は存在している、という反論があります。確かに、この意見には一理あるようにも感じますが、よく考えてみるとそう簡単に結論づけることはできないと分かります。

決定論

人間の体も脳も、分子や原子などの粒子で構成されています。そのため、自然法則はもちろん私たちと私たちの脳にも適用されます。我々が知っているこの宇宙の法則によれば、未来は現在によって決定されます。何事にも、それを生み出す原因が存在しており、1つ1つ遡ると、全ての始まりは宇宙を誕生させたビッグバンにたどり着きます。言い換えれば、ビッグバンの後の全ての事象は、ビッグバンのその瞬間、既に決定されています。このような考え方を、「決定論」と言いますが、この哲学的な理屈は、特に物理学の父であるニュートンが発展させたニュートン力学の法則によって裏付けられています。ニュートン力学では、ある状態の物体に作用する力とその物体の運動状態を正確に知れば、その物体の未来の状態も正確に予測できるとされています。この理論を宇宙全体に適用すれば、理論上は宇宙の初期状態から全ての未来が予測可能となり、すなわち、自由意志の余地はない、ということになります。

しかし、20世紀に入って量子力学が登場すると、この決定論的世界観に疑問が投げかけられました。量子力学の研究結果から判明した事実によれば、物事を構成する粒子の振る舞いは、ニュートン力学が思うような確定した状態ではなく、ランダムな状態です。しかも、このランダム性からは、次の瞬間の粒子の具体的な振る舞いがどうなるかが100%予測できません。つまり、世界が根本的にランダムであり、物事の未来は確定的なものではなく、確率的な範囲でしか語ることができないと示唆されました。もちろんこの法則も人間の脳を構成する粒子に適用されるため、人間の次の考えもランダムであり、予測不能である、したがって、人間は自由意志を持っているのだという結論にたどり着けます。これは、「自由意志は存在する」と主張する人々の理屈の代表的な1つです。ただ、現段階の様々な議論では、この理屈に対するリアクションは賛否両論あります。僕は、これに対して実は反対の立場です。

量子力学が発見した粒子レベルでのランダム性は、どんな要因にも左右されない、「根本的なランダム」です。もちろん、あなたの「意志」も、僕の「意志」も、他の誰かの意志も、粒子のランダム性に影響を与えることはできません。したがって、この世界の根底にある法則は依然として、「決定論」です。その「決定論」には粒子レベルのランダム性が組み込まれているだけで、マクロスケールにおける全ての事象は既に決まっていることに変わりがありません。この法則のもとでは、「何かの方法によって、将来に起こりうる複数の可能性の中から実際に起こる事柄を選ぶことができる」というような考え方は、間違っているのです。将来に実際に起こることは1つのパターンしかなく、私たちは他のパターンを選ぶことができません。

人間は自由意志を持っていない

そしてそもそも、「自由意志」という概念は成立しないのです。「自由意志」というものが本当に存在するのなら、人は自分の意志や欲望で選択や決定を下すことができます。しかし、選択や決定が常に自分の意志や欲望によって影響・左右されているのなら、それは「自由」の定義を満たしません。一方で、もし人が下した選択や決定が意志や欲望に影響されていないのなら、それは自分の意志に基づいた選択ではなくなります。そのような選択や決定は「自由」ではありますが、「自分の選択」、つまり「自分の意志」ではなくなります。

こう整理してみると、「自由意志」という概念自体に、そもそも矛盾が含まれていることに気がつきます。このような矛盾に対して、一部の人は「自由意志」を「異なる選択肢を取る能力」だと定義するようです。例えば冒頭部分の例を思い出してみると、あなたは実際には白ワインを買いましたが、異なる選択肢、つまりそのワインを買わない、もしくは別の物を買う、という別の行動も取ることができる能力があり、彼らはそれを「自由意志」として定義します。

しかし、このような定義は無意味です。とある行動が実行された時点で、他の選択肢や行動を取る可能性は現実として存在しなくなります。人が異なる選択を取る能力を持っているという見方は、後から考えて、その時に異なる選択肢が存在していたかのように認識しているだけであって、それは単に人間の思考の産物であり、実際に過去に戻って異なる選択肢を取るという能力を人間は持っていません。要するに、未来から見て、「人間は異なる選択肢の中から1つを選ぶことができる。それが自由意志だ。」 と考えるのは、自然法則を無視しており、論理的にも矛盾しています。

では、なぜ人々は「自分が自由意志を持っている」と思うのでしょうか?それは脳の処理のプロセスと関係しています。ランチに何を食べるか、どの映画を見るかなどの決断を迫られたとき、脳は選択肢を決定するために様々な計算や処理をし始めます。これは、数学の問題を解く時に脳が計算や処理をするのと同じです。脳が計算や処理をしている間はまだ、最終的にどのような決断に至るのか、私たちは予測することができません。もし脳が計算をする前に私たちがその結果を知ることができるのなら、脳には計算というプロセスが存在していないはずです。脳が物事をじっくりと考えるプロセスでは、異なるいくつかの決断が下されたと仮定して、その様子をシミュレーションし、それぞれの予想される結果を評価しています。このようなプロセスは、自分は様々な選択を取ることができる、つまり自分は自由意志を持っている、という錯覚をもたらします。

実はアインシュタインも決定論の支持者であり、彼の相対性理論に基づいて、「ブロック宇宙論」という理論が提唱されています。この理論によると、過去、現在、未来は時間の流れという概念とは無関係に存在しており、宇宙のすべての事象と出来事は、宇宙が誕生したその瞬間、既に決定されていると言います。この「ブロック宇宙論」の視点では、時間とは、我々が経験するような連続的な瞬間の流れというよりも、すでに存在する様々な状態の集合体であると見なされます。これは、時間を空間の次元のように扱い、過去から未来にかけてのすべての事象が一つの静的なブロックとして存在するという捉え方です。この理論は自由意志に関しても重要な示唆を与えます。もし時間が静的なものであり、すべての事象が既に決定されているのであれば、私たちが「選択」すると感じる瞬間も、実際には既に決定されている事象の一部であり、私たちの「選択」はあらかじめ定められた事象の実現に過ぎないということになります。つまり、人々の人生は映画のフィルムのようなもので、私たちはただ映画のシーンを1つ1つ経験しているだけです。

ここまでの話を聞き、困惑している方もきっと多くいると思います。「自由意志」の実在を認めることは社会の根幹であり、人が自分の意志で行動を選択し、それによって結果が生じるという考え方は、法律、倫理、社会の規範を含む多くのシステムの基礎を形成しています。ある人が罪を犯した場合、社会はその人に罰を与えます。これは、その人が他の選択肢を選ぶ自由があったにもかかわらず、犯罪を選んだという理解に基づいています。しかし、もし「自由意志」が存在しないとすると、このような個人の選択について、責任の所在は一体どうなるのでしょうか?もし人間のすべての行動があらかじめ定められているとしたら、個人の意志に基づく選択とは何か、そして個人がその選択に対してどのような責任を持つのかという問いが浮かび上がります。

さらに言えば、成功や富は努力と関係がないのか? 人々の運命は生まれつき決まっているのか?といったことも問わなくてはなりません。「自由意志」が実は存在しないのだという認識が世の中で認められたら、この社会は間違いなく崩壊します。さて、それにしても、なぜ僕はこのような話をしているのでしょうか。冗談のように聞こえるかもしれませんが、僕の自由意志によるものではありません。138億年前のビッグバンのその瞬間には既に決まっていました。

もちろん、今の世の中では自由意志の存在を信じる人のほうが圧倒的に多いと思います。ただ少なくとも、この動画を通じて、人間の脳がどのように機能しているのかについて皆さんが考えを深める機会を提供できたのではないでしょうか。実際、脳は私たちが望むかどうかにかかわらず、様々な情報を取り込んで処理しています。一旦入ってしまえば、それを取り除くことはなかなかできません。トラウマが対処しにくい理由もその点にあります。自由意志が存在すると信じるにしても、人々の選択や決断は外部からの情報にかなり大きく影響されているのだと理解することが重要です。

では、もし自由意志が本当に存在しないのであれば、これからの人生をどのように過ごせば良いのか?ときっと誰もが疑問に思うでしょう。僕の答えは、今まで通りに過ごせば良い、というだけです。自由意志が存在しないからと言って、それを存在するものとして思い浮かべ、思考のサポートとして使っていけないわけはないですし、それはこれまでと何ら変わるものではありません。もし自分が自由意志による努力で幸せを築いてきたと感じているのなら、その道を歩み続けるべきです。私たちには、情報を集め、それらを基にして意思決定を下したと自覚する脳の作用、すなわち思考能力が備わっています。思考の結果は既に定められているかもしれませんが、それにもかかわらず、この人生は、考え続けることが求められます。もしかしたらこれこそが、私たちがこの世界に存在する何かの意味、何かの目的へと導いていくものなのかもしれません。

最後になりますが、自由意志が存在するかどうかという議論は、これまで数千年も続いてきた話です。今回はあくまで僕個人的な意見であり、当然ながらこの議論に終止符を打つことができません。この自由意志の存在について、皆さんの意見も聞きたいので、ぜひコメント欄で教えてくださいね。それでは、今日もご視聴ありがとうございました。

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