「時間」そして「空間」。これらは人類を縛る、宇宙の“絶対的ルールなのか?
真実の目へようこそ。
宇宙の最期
突然ですが、数兆年後の宇宙の様子を思い浮かべてみてください。そこはどのような世界でしょうか?この宇宙は138億年も前に誕生したと推定されていますが、その数字も凌駕するほどの超未来の宇宙の姿など、100年にも及ばない寿命の私たち人類には、普通は想像もできません。
そこで、1つの説をお話ししてみます。数兆年後の宇宙は、想像を絶する暗闇と極寒が支配する場所へと変わるでしょう。かつて星々が瞬いていた場所は、星の残骸が茫漠の彼方に散り、無数の銀河が一つひとつ息を引き取っていく……そんな様子は、この宇宙の時間が永遠には続かないことを物語っているかのようです。しかし、もしその時になっても生き延びている文明がまだあるなら、彼らには絶滅を避ける方法が一つだけあります。それは、ブラックホールの近くに移住すること。なぜなら、ブラックホールは彼らに、「時間」という最大の贈り物を与えるからです。ブラックホールの巨大な重力下では、時間はよりゆっくりと流れます。その影響の外では長い年月が過ぎ去っていても、ブラックホールの付近では、ほんのひとときを過ごしただけに感じます。こうして最後の文明は、目の前で繰り広げられる宇宙の未来を眺めながら、その終焉を自分の一生より後に先延ばしすることに成功します。
しかし、その文明は究極の終焉を回避したのではなく、ただ遅らせたに過ぎません。SF小説のように聞こえるこのシナリオですが、その方法は現在解明されている物理法則に従っており、理論上このような「先延ばし」は実現可能です。時間と空間が人為的に操作可能だという科学がもたらした結論は、これまでの人類の世界観を覆すとてつもないパラダイムシフトでした。このことは私たちに次のような疑問を抱かせます。時間と空間の本当の正体はどのようなものなのか?その本質は何なのか?今回は、時間と空間についてお話ししていきたいと思います。
ぜひ最後までお付き合いくださいね。
時間と空間の研究史
空間とは何か?時間とは何か?この問いは、古代からすでに、哲学者たちの頭を悩ませていました。紀元前4世紀、プラトンは次のように述べています。「空間とは、あらゆるものが存在する媒介物である」。それから約2,000年後の1632年、ガリレオ・ガリレイは、空間には絶対的な静止状態は存在せず、運動は相対的なものであることを提唱しました。この考えは、ガリレオの死の翌年に生まれたアイザック・ニュートンが中心となり、宇宙の性質に関する議論の一大トピックとなりました。ニュートンは、空間と時間は絶対的で独立した存在であり、宇宙が機能するための不動の舞台であると主張しました。これに対して、ニュートンと同時代のライプニッツという数学者・哲学者は、異なる考えを示します。ライプニッツの主張は、空間は相対的なものであり、空間内の物体の位置と相互作用にのみ意味があるというものです。仮に物質の存在しない宇宙があるとしたら、そこでは空間と時間は何の目的も持つことができず、したがって存在することすらない、と彼は主張しました。1716年にライプニッツが亡くなった時点でその議論は決着していなかったにもかかわらず、ニュートンの絶対的な空間と時間という概念が、その後の2世紀にわたって科学思想の主流を占めました。
しかし、近代になってこれを疑う立場の研究者が現れ始め、徐々に考え方が変わってきました。時間の本質を理解するためには、まず次のような疑問を解決しなければなりません。時間とは、それ自体で成り立っている何らかの現象なのか?それともこの宇宙には止めどなく次々に起こる出来事や、姿形を変える物事があるだけで、その変容の経緯を観念的に「時間」と名付けているのか?このことを理解するためには、時計や物事が動く速さについて考えるだけではいけません。
エントロピー
ここでは、「熱」という、時間とまったく関係のなさそうな要素を考えることで、答えの一部を導いてみましょう。
18世紀後半、産業革命の時代が訪れ、蒸気機関という新しい機械が誕生しました。人々は、石炭をどれだけ使えば、どれだけの力を得られるのか、それが馬を使うよりも効率的なのか、という問題を考えなければならなくなりました。これを解明するために、エネルギーと熱を理解する「熱力学」という学問が誕生します。そして、熱力学の研究はある1つの現象を発見しました。エネルギーや熱は、とある場所から別の場所に移動するときに、拡散して失われます。例えば、蒸気エンジンは、その仕事に使われる中で熱として多くのエネルギーを失うという現象が生じます。この損失はどんな機械にも起こり、100%のエネルギー効率を発揮するものは現代科学において存在しません。このような現象が起きる理由は、エネルギーがとある場所から別の場所に移動するときに、拡散して失われることに起因してい ます。この過程で、エネルギーや熱はもともとの整然とした状態から雑然とした状態に移行します。熱力学は「エントロピー」という概念を導入して、この現象を説明しました。「エントロピー」というのは、物事の無秩序や混乱の度合いを表すものです。蒸気エンジンの場合、エンジンが動作する際に燃焼させた石炭から生じる熱は、エンジンを動かすために一部利用されますが、残りの部分は周囲の環境に放出され、無駄になってしまいます。この熱の放出は、動力を生み出すというシステムのエントロピーが増大していることを意味します。
では、これは時間とどう関係しているのでしょうか?熱力学の分野がエントロピーという概念を生み出したあと、それは他の分野にも応用されました。例えば、部屋が散らかっている状態を想像してみてください。服が床に散乱していたり、本がばらばらになっていたりすると、その部屋は「乱れている」と感じますよね。それと同じように、エントロピーが高いというのは、物事がまとまりを失い、混沌した状態、もしくは予測しにくい状態になっているということです。
もう1つ例を挙げると、氷が溶けて水になる様子でも説明できます。整然としたアイスキューブの固まりから、形のない水に変わるとき、そのシステムのエントロピー、すなわち無秩序さは増大しています。このような法則によって、物理学者は宇宙が時間的に未来へと進むにつれてエントロピーが増大することを明らかにしました。
つまり、蒸気機関だけでなく、惑星、恒星、銀河など、すべてが秩序から無秩序へと向かっています。このような考え方の終着点として、エネルギーの総量は消失しませんが、エントロピーの増大によって、エネルギーは散逸することになります。これは宇宙全体にエネルギーの枯渇をもたらします。その結果、宇宙の至るところで意味のある活動が停止し、言わば死の状態になります。冒頭部分で描写した宇宙の最期のシーンは、これによる結果です。そして、これと時間の関係についても、時間の流れる方向は、エントロピー増大の方向と同じです。時間が立つにつれて、アイスキューブが溶けていく、部屋が乱れていく、宇宙は死んでいく。そのため、一部の科学者は、時間の本質は、エントロピーの増大にあると考えています。この視点からすると、時間は単なる測定単位ではなく、物理過程そのものを反映する現象です。
つまり、時間の流れとは、宇宙の状態がより無秩序なものへと変化していく過程のことを指します。
さらに、この理論は時間の一方向性、すなわち「時間の矢」とも関連しています。我々は過去を思い出すことはできますが、未来を予知することはできません。それはなぜか?その理由は、エントロピーが時間とともに増大するからです。我々が経験する時間の流れ、つまり「現在」から「未来」への流れは、宇宙のエントロピーが増大する方向と一致しています。しかし、この理屈で考えると、宇宙のエントロピーが最大値にまで増加した時点で、つまりエントロピーがそれ以上に増大しない時、時間は存在しなくなる、もしくは、時間という概念の意味がなくなるという結論にたどり着きます。これは、「時間が絶対的な存在である」という今までの認識を覆すものです。ただ、その後の研究から、時間と空間は、それでは説明することのできない不可解なものであることが分かりました。
アインシュタインの相対性理論
アインシュタインは、従来の物理学による空間と時間の説明に納得していませんでした。そんな彼が1915年に考え出したアイデアは極めて画期的でした。彼は、空間と時間は伸びたり曲がったりする可能性があり、質量を持つ物体がこの伸縮や屈曲を引き起こすことを示唆しました。こうして彼は、重力を私たちが考えるような押しや引きのような力としてではなく、質量によって作られた空間と時間のカーブに沿って物体が移動する結果であると表現したのです。つまり、空間と時間は硬直した不変のものではなく、宇宙に存在するものによって影響を受ける可能性があるということです。このアイデアは大きな意味を持ちます。つまり、運動や、星やブラックホールのような大きな物体との位置関係によって、時間の流れが変わる、そんな直感的には信じがたい現象を証明する理論なのです。
ここで冒頭のお話を思い出してください。死に際の宇宙で生き残った文明がブラックホールの付近に逃げることで、なぜ時間の流れを遅くなるのか、ここからご説明します。ブラックホールとは、非常に大きな質量が小さな領域に押し込められた空間のことで、その結果、引力が非常に強くなり、光さえも逃れることはできません。アインシュタインの研究によれば、ブラックホールの近くでは、その強大な質量によって生成される重力が、空間と時間を強く捻じ曲げ、「重力的時間遅延」という現象を引き起こします。その結果、その空間の時間が遅く進むことになります。これは、その最後の文明が終焉を延ばすことができた理由です。
ただ、時間は重力によって速くなったり遅くなったりするだけではなく、物体の速度からも影響を受けることが示されています。例えば、宇宙船が光速に近い速度で移動する場合、宇宙船内の時間の流れは、宇宙船外から見た場合に比べて顕著に遅くなります。このアインシュタインの理論は、時間と空間の理解に革命をもたらしました。しばらくの間、これらの理論はただの仮説として保留された状態でしたが、1971年、科学者のジョセフ・ハーフェルとリチャード・キーティングが次のような実験を行いました。彼らは超高精度の原子時計を用意し、1つを航空機に載せて世界中を飛び回り、もう1つを基地に残しました。アインシュタインの理論によれば、時間は速度と重力によって変化します。そしてその通り、2つの時計はアインシュタインの正しさを証明したのです。2つの時計にはわずかな差が生じ、その差は、アインシュタインが提唱した理論によって計算された理論値と同じでした。これは、今までの時間という存在の認識を大きく揺るがす発見です。
しかし、驚きはそれだけではありません。その後、科学者たちは空間に関する驚くべき事実に行き着きました。なんと、我々がいるこの宇宙空間は、常に大きくなっていたのです。今となっては一般常識に近いくらい多くの人が知っているこの事実ですが、当時の人々の立場になって想像してみれば、それにどれだけ愕然とさせられたか、その気持ちは容易に理解できます。そして、これは138億年前のビッグバンと呼ばれる大爆発によって宇宙が始まって以来、ずっと続いています。ここでいう空間の膨張は、風船のように膨らんでいるわけではありません。つまり、宇宙が何かの内部で膨らんでいるわけではなく、宇宙空間自体が常に広がっているのであって、この現象は何かに例えることが困難なほど、人智を超えたものなのです。学べば学ぶほど謎が深まる時間と空間というこれらの概念は、結局のところ何なのでしょうか?
アインシュタインの考えによれば、宇宙全体に共通する時計は存在しないそうです。どういうことかというと、宇宙全体には共通する「絶対的な」時間は存在せず、時間と空間は相対的なものであり、観測者の位置や運動の状態によって相対的に変化するということです。これは、「時間の経過」という経験が、物体の速度やその物体が存在する空間の重力場に依存するという意味です。ですので、「現在」 は人によって違います。
人々のそれぞれの「現在」や、それぞれの時間はどのようになっているのかを考えるために、宇宙全体が1冊の本のような存在で、私たちはそのページを順番に生きているようなものだと例えてみましょう。この本の各ページには異なる時間や出来事が書かれていますが、それらは「本」という姿で同時に存在し、互いに平行していると言えます。私たちが体験する「現在」というのは、本の中の1ページに過ぎません。そして、異なる観測者や物体が体験する「現在」は、本の中の別のページで起こっている出来事というわけです。この考え方は「ブロック宇宙論」と呼ばれ、科学者や哲学者にとっては大きな頭痛の種であり、様々な疑問をもたらしています。例えば、すべてがあらかじめ書き込まれているとしたら、私たちの自由意志はどこにあるのでしょうか?しかし、今回はそこまで考察している余裕はありませんので、また別の機会に振り返ってみましょう。アインシュタインがもたらした驚異はまだまだ続きます。彼は、時間と空間が、実は本質的に同じものであると言ったのです。とても理解の追いつかないラディカルな主張ですが、その理屈を簡単に解説します。
あなたが友人と公園で待ち合わせをするとします。そのためには「どこで」会うのかと、「いつ」会うのかという2つの情報が必要です。このように、日常生活を送る私たちは、当然のように空間と時間を別々のものとして扱っています。アインシュタインはそういった私たちの感覚的な世界観をすべて取り去って、フラットな視点からこの宇宙を「すべての物事が起こる一つの大きな舞台」と見なし、時間と空間について考察しました。彼はこの舞台を「時空」と名付け、時間と空間を繋げることで、4次元の連続体として捉えることを提案しました。
ここで言う4次元とは、空間の縦、横、高さに、時間という4つ目の次元を加えたものです。
彼の理論では、時間は単なる時計の針の動きではなく、空間と深く結びついており、この二つは別々の存在ではなく、一つの連続体、すなわち「時空」として現実に表れます。時空は、物質やエネルギーに反応して曲がる可能性を有するという性質があり、この性質こそ、私たちが重力と認識しているものです。重力が強いほど、時空はより強く歪み、時間は遅く流れます。光の速度がどのような状況においても一定であるという事実は皆さんもご存じだと思いますが、これはもともと科学的な常識に反した現象で、なかなか論理的に説明しがたいものでした。しかし、アインシュタインの時空の概念を用いれば、光速不変の現象をスムーズに説明することができます。このように、空間と時間は宇宙という舞台の座標であり、同一の存在についての一部の側面を表すものなのです。したがって、友人と会うのに場所と時間の両方を知る必要があるように、宇宙は時空を用いて、出来事が起こる場所と時間の両方を決めているということです。
以上のような現段階で人類が認識している時間と空間の性質の説明によって、それなりに真実に近づいた感じがするかもしれません。しかし結局、完全に解明したとは言いがたい、まだまだ不完全なものです。
時間と空間の真実
一体、時間と空間の本質とは何なのでしょうか?ここでさらに、ある研究者が大胆な仮説を提唱しました。僕としては、個人的にもこれはかなり有力だと思っています。その仮説は、「空間と時間は本質的に存在しない」という結論に集約されます。これは理解しがたい主張のようでありながら、もしかしたら皆さんもどこかで耳にしたことがあるかもしれません。この仮説を考えるために、「温度」という概念から始めましょう。「温度」とは、我々が物質の熱的な状態を感じ取るための物理的性質ですが、それ自体は個々の分子の運動に過ぎません。つまり、温度は「実在するもの」というよりは、多くの微小な運動が生み出す統計的ないし統合的な現象です。
同様に、この仮説によれば、時間と空間もまた、より基本的な現象から生じる「実在しない」ものです。1997年、フアン・マルダセナという物理学者が、重力と量子力学の深いつながりを示唆する発見をしました。彼は「AdS/CFT対応」という理論を構築し、宇宙のあらゆる情報について、その本質は宇宙の境界にホログラムのように符号化されているものであると提唱しました。つまり、我々が「体積」として知覚している空間は、実際にはより低次元の「表面」に情報が投影(プロジェクト)されたものである可能性があるということです。もしこの理論が正しければ、時間と空間の本質に関する我々の理解は根本から覆されることになるでしょう。それは、時間や空間が根源的に実在ではなく、別の何かから生じる現象、もしくは「幻影」である可能性を示唆しています。もしこれが本当なら、この広大な宇宙に生きる私たちにとって、この事実は何を意味するのでしょうか?私たちの存在は無数の原子からできており、自己の感覚はその原子のどこかに由来しています。空間と時間も同じように、絶対的な真理としてではなく、知覚の枠組みの一部として捉える必要があるのかもしれません。これは、私たちが宇宙や現実を理解する方法、世界の見方に対する根本的な問いかけを意味します。もし時間と空間が幻影であるならば、私たちの「経験」とは何か、そして「現実」とはどのように定義されるのかという問題に直面することになります。
何世紀にもわたる進歩によって様々な物事を解明してきたはずなのに、私たちはいまだに空間と時間の本質を捉えることが叶わず、右往左往し続けています。将来、圧倒的に真実に迫る理論の登場を期待したいところですが、未解決の謎が限りなく生じ続ける可能性もあります。今回考えてきたありとあらゆる問いは、科学だけでなく、哲学や宗教にも深く根を張っているものです。科学的探求が進むたびに、私たちは宇宙の中で自分たちの位置を再評価し、存在そのものに対する新しい理解と敬意を持つ、そのような心が必要なのかもしれません。これからも、人類の探求と学びの旅は続いていきます。
それでは、今日もありがとうございました。
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