始めに
夜空を見上げながら自分の存在について思いを馳せる……あなたもこれまで、そんなセンチメンタルに浸ったことはありませんか?自分という一つの個体がこの壮大な宇宙においてどれほど微小なものなのか。自分の一生が宇宙の歴史の中でどれほど短く儚いものか。偉大な宇宙のスケールに感動する一方で、そこに存在する自分の小ささを考えると、無力感に襲われることもあるでしょう。宇宙は一体どれほど広いのか?宇宙の果てには何があるのか?もしくは、宇宙には果てなどなく、文字通りの「無限」を誇るのか?宇宙の本当の広さを探る今回の旅で、皆さんは宇宙の神秘と奇妙さを体験し、この宇宙に存在している自分自身についても新たな視点を得ることができるでしょう。ぜひ、最後までお付き合いくださいね。
宇宙は無限なのか?
人類の宇宙に対する考え方は、古代から現代に至るまで次々と変化しています。意外に感じるかもしれませんが、数千年前の古代の賢者たちは既に、宇宙は空間的に無限であり、時間的には始まりも終わりもないという、高度に概念的な発想で宇宙の姿を考えていました。「宇宙」という言葉自体も、「この世界は空間的にも時間的にも果てが存在しない」という意味を持つ古文に由来しています。
しかし、宇宙は空間的にも時間的にも果てがない、もしくは、宇宙は空間的にも時間的にも無限である、という主張を初めて聞かされたとして、「無限」というものが実在するなど、ほとんどの人はなかなか受け入れられなかったのではないでしょうか?
ただ、実は、宇宙が無限であるという説明はいろいろ都合がよいのです。どういうことか理解するために、例えば、次の質問に答えてみてください。
「もし宇宙に空間的な果てがあるのであれば、その果ての外は何なのか?」
「もし宇宙に時間的な始まりがあったのであれば、そのスタート時点より以前には何があったのか?」
いかがですか?なかなか答えに窮する問いだと思います。数千年前の賢者たちも同じく、これらに対して論理的に答えることができませんでした。それゆえに、宇宙は無限であるという答え、もしくは主張が誕生したのです。
しかし、観測技術が発達した近代に入ってから、その認識は徐々に変わっていきました。きっかけとなったのは、全ての天体が地球から遠ざかっているという現象の発見です。そして、さらにその後の研究によって発見されたほかの様々な現象からも、どうも宇宙は時間的に「スタート」があるようで、それは138億年前のとある時点であるという計算結果が出ました。これはすなわち、未来の方向において無限かどうかは未知数ですが、少なくとも過去の方向においては無限ではなく、スタート時点が存在している、と現段階ではこのように認識されています。
科学的にこのような話が出てしまったので、私たちは「宇宙のスタート時点より以前は何があったのか?」という先ほどの問いと直面しなければなりません。これはやはり難しく、まだはっきりとした答えはありませんが、以前の動画でもお話したように、宇宙を1つのパソコンゲームだと仮定するという考え方がありえます。この考え方なら、ゲームのスイッチを入れることで、初めてそのゲーム世界の時間が流れ始めるのだと説明することができます。それより以前は、ゲーム世界自体も、その世界における時間も存在しません。そして、そのゲームを起動するさらに外側の世界が何らかの形で存在する、と想定するのです。
このように考えれば、時間が存在しない世界は簡単に理解できるようになります。ただし、この宇宙が本当にパソコンゲーム、もしくはパソコンによるシミュレーションのようなものなのかは、まだ論理的にも実証的にも一切の証拠はありませんので、この考え方はあくまでも理解を手助けするための比喩だと思ってください。
そして、宇宙が時間的に無限ではないという可能性があるならば、同じように、宇宙は空間的にも無限ではない、そして宇宙には果てが存在する、という可能性も考えるべきだと言えます。その答えを導き出そうと、物理学者たちはさらなる調査と研究に打ち込みました。
実は厳密なことを言うと、果てがあるかどうかは空間的に無限かどうかと関係がありません。それは地球を例に説明すれば簡単に分かります。地球の表面積は有限ですが、地球の表面上で移動する場合、どんなルートで移動しても、ここが地球の“果て”だという場所にはたどり着けません。つまり、地球という球体は表面積が有限であるものの、この球体には果てが存在しません。そして、宇宙が時間的に無限ではないという可能性があるならば、同じように、宇宙は空間的にも無限ではない、そして宇宙には果てが存在する、という可能性も考えるべきだと言えます。その答えを導き出そうと、物理学者たちはさらなる調査と研究に打ち込みました。
似たように、「宇宙も地球と同じく、果てはないが、空間は有限となっているのではないか」という仮説をアインシュタインが1917年に提唱しました。地球上でずっと直線に前進すると、最終的には出発点に戻ることになります。彼が思うに、これは、地球の表面が1つの曲がった二次元空間となっているからです。そして、宇宙の三次元空間も、同じく曲がることができるとアインシュタインは予想しました。
もしこの予想が正しいのであれば、宇宙は空間的に有限である可能性が一気に高まります。ただし、これが提唱された当時は検証の手段がなかったため、長い間仮説は仮説のまま留まっていました。
宇宙の広さ
21世紀に入り、人類が宇宙空間に衛星を送れるようになってから、やっとこの仮説の検証が可能になりました。研究者たちは高精度のジャイロスコープを乗せた4機の人工衛星を宇宙空間に送り、地球付近の宇宙空間が曲がっているかどうかを確認してみました。その結果、4つのジャイロスコープが地球を一周した後、それぞれの方向に僅かな変化が確認されました。その変化量が、三次元空間が曲がっている場合に生じる理論上の値と高度に一致したことから、三次元空間は確かにアインシュタインの予想通り曲がることが可能であると実証されました。
しかし、これはあくまで、三次元空間は確かに曲がることが可能であること、そして地球付近の三次元空間が曲がっていることという二点しか証明できておらず、宇宙空間全体が曲がっていることの証明にはなっていません。その理由は、また地球を例に説明すれば簡単に理解できます。
地球の表面は凪いだ海のようにフラットになっている部分もあれば、山などで突出した部分もあります。ですので、海の部分だけを見て、地球の表面はどこでもフラットになっているとは言えません。ですので、次のステップは、宇宙全体が曲がった空間であるのか、それともフラットな空間なのかを突き止めることです。
もし宇宙空間がフラットであり、すなわち宇宙の曲率が0である場合、宇宙空間はどこまでも延々と伸びていることと等しく、宇宙は空間的に無限だということになります。
もし宇宙の曲率が0より小さい場合、宇宙空間は1つの四次元の“馬の鞍”のような形をするものとなります。この場合においても、宇宙は空間的に無限となります。
そして、もし宇宙の曲率が0より大きい場合、宇宙空間は1つの四次元の球体となります。この場合、宇宙は地球と同じく、1つの閉じた空間となります。この球体には果てが存在しないものの、空間的には有限です。
では、宇宙空間の曲率はどのようにすれば分かるのでしょうか?
最も簡単な方法は、地球から遠く離れている天体や銀河を観察することです。もし宇宙の曲率が0より大きい場合、つまり宇宙が1つの閉じた球体である場合、光はこの球体を沿って前進するため、必ずまた出発点に戻ります。この場合、地球上にいる私たちから見れば、遠く離れた天体ほど、大きくて明るく見える現象が起きると予想されます。しかし、実際の観測でこのような現象は確認されていませんので、宇宙が1つの閉じた球体であるという可能性は排除できます。
次に、もし宇宙の曲率が0より小さい場合、遠く離れた天体は実際より小さく見える現象が起きると予想されます。遠く離れるほど、天体は実際よりけた違いに小さく見えるため、私たちが観測できる宇宙の範囲は数百光年ほどにまで狭まるという計算結果もあります。しかし実際のところ、300億光年離れた銀河も観測されているので、宇宙空間の曲率が0より小さい可能性も排除できます。これで、宇宙の曲率は0に近い、すなわち宇宙空間はフラットであるという可能性が最も高くなりました。
そして、研究者たちは宇宙マイクロ波背景放射の観測結果や、相対性理論を用いた計算結果などからも、宇宙は曲率0のフラットな空間であるという結論に至りました。ただし、これはあくまでも観測可能な宇宙の範囲について得られた結論であり、私たちが観測できない部分の宇宙までもフラットになっているかは未知数です。しかし、理論的な見立てでは宇宙のどの部分もほとんど大差のない空間となっていることが予想されているため、観測可能な宇宙がフラットな空間であれば、おそらく宇宙全体もフラットな空間となっているのではないかという推論が得られます。これはすなわち、宇宙は空間的に無限大である可能性が非常に高いということです。
この場合、私たちがいる観測可能な宇宙の範囲は直径約930億光年の球体ですが、このとんでもないサイズの球体を宇宙全体と比べた場合、それはスケール的には1つの原子のような小さいもの、もしくは、原子よりもはるかに小さいものという規模感になってしまいます。さらに、このとんでもなく“小さい”直径930億光年の球体の中にいる私たち自身の姿をあらためて見てみれば、私たちがどれほど小さいものなのか、それを適切に表現する言葉もなくなるでしょう。そして驚くべきことはこれだけではなく、宇宙が本当に無限大であるのなら、そこでは想像を超えることが起きるのです。
それは、「パラレルワールドの誕生」と「タイムトラベルの実現」です。一体どういうことなのか、今から順を追って説明します。
パラレルワールド
まず「パラレルワールドの誕生」についてですが、この宇宙にある全ての物事は、十数種類の素粒子の組み合わせでできています。異なる組み合わせ方は、異なる物質や物事を誕生させます。そして、十数種類の素粒子による異なる組み合わせ方のパターンは、想像を超える数に及びます。これこそが、宇宙に様々な異なる物質や物事が存在している理由です。ただし、これらの組み合わせ方にどれほどのパターン数があっても、それは有限の範囲に留まります。
一方、宇宙空間は無限大です。これは何を意味しているのか?既にお気づきかもしれませんが、無限大の宇宙では、あらゆる可能性が現実になりうるのです。その上、これらの現実はどれも無数に存在しています。すなわち、私たちがいるこの地球とまったく同じ惑星が、必ず宇宙のどこかで存在しているだけではなく、そのような惑星は無数に存在しています。同じく、まったく同じあなたも宇宙のどこかに必ず存在しており、さらにそのようなあなたは無数に存在しています。
計算によると、理論上全く同じものは、およそ10の10の122乗メートル離れた場所で一回出現します。ちなみに、今「メートル」という単位を使いましたが、ここで使う単位は、「フィート」でも「ヤード」でも、あるいは「光年」や「パーセク」であっても構いません。なぜなら、この天文学的な数字を前にしては、どんな単位も誤差でしかないからです。
この人間の脳ではイメージさえできない距離に隔たれてしまっている「同じ存在」同士は、光速を超える移動手段がなければ、お互いは永遠に相手の居場所にたどり着くことができません。その理由として、宇宙空間は絶えず膨張しており、遠く離れるほど空間の膨張する速度が速くなるため、10の10の122乗メートルも離れた両者の間にある空間が離れていく速度は光速よりも速くなるからです。ですので、両者は仮に光速で相手の場所へ向かっていても、永遠に相手の居場所にたどり着くことはできませんし、相手の世界に影響を与えることもできません。したがって、2つの世界はそれぞれ並行して歴史を重ねていくパラレルワールドだと言ってよいでしょう。
そして、先ほども話した通り、このようなパラレルワールドはこの宇宙に無数に存在しているため、無数のありとあらゆる可能性もこれらの並行世界で実現しています。例えば、あなたと全く同じ人生を送っている別のあなたも無数にいれば、スター俳優になったあなた、もしくは大統領や総理大臣になったあなたも無数に存在しています。これまで全く同じ人生を送ってきたあなたたちは、次の瞬間にも全く同じ決断をして全く同じ人生を送り続ける可能性もあれば、次の瞬間にくだす異なる決断によって、その後の人生を違うものに変えていく可能性もあります。
SF小説のようにも聞こえてくるこの話ですが、宇宙が無限大であるのなら、このようなことは確実に起こります。そして、これは「タイムトラベル」が実現可能な理由にもなります。
タイムトラベル
ここで言及する「タイムトラベル」というのは、「時間軸」における移動、すなわち過去や未来への移動という意味のタイムトラベルではなく、空間的な移動によって再現されるタイムトラベルです。
どういうことかというと、この宇宙には同じ物が無数に存在しているはずだというここまでの話を前提として考えると、同じ歴史を歩んできた地球も無数に存在し、それらは同時並行している地球だけでなく、歴史の内容が全く同じで時間だけがズレた地球も存在します。もし、亡くなった家族ともう一度会いたい、または未来の社会はどのようになっているのかを見たいと思ったとき、私たちが今生きている地球と異なるタイミングにある“別の地球”に移動すれば、タイムトラベルのようなことが再現できます。ただし、先ほども説明した通り、光速を超えた移動手段がなければ、別の地球にたどり着くことはできませんので、ここで言う「タイムトラベル」には、1つの条件が必要となります。
それは、「ワームホール」の実現です。ワームホールは異なる空間を繋げることができるもので、現段階ではまだ理論上だけの存在です。もしワームホールを実現できれば、どれほど離れた場所でも、一瞬でたどり着くことができます。アインシュタインの相対性理論によれば、時間軸における移動、すなわち従来の意味のタイムトラベルは、理論上においても実現不可能です。ただし、ワームホールは少なくとも理論上では問題がありません。ですので、いつか科学技術の発達によってワームホールが実現すれば、私たちはタイムトラベルが体験できるようになります。
ただし、過去へ戻って自分の過ちを訂正したり、歴史を書き換えたりすることはできません。仮にそのようなことをしたとしても、変わったのは“別の地球”における出来事で、“自分の地球”は何も変わらないのです。
最後に
まるでSF映画のような話に飛躍したと感じているかもしれませんが、現段階の知見から、以上の内容は十分に考えられるものです。
これらの内容を知った上で、もう一度夜空を見上げてみると、これまでとは少し違った気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。この無限大の宇宙にぽつりと存在する、小さすぎる我々は、その上さらに、国家や社会生活に制約された狭い“空間”の中で一生を過ごさなければなりません。かつての夢を諦めたり、息抜きもできないほど仕事に追われたり、愛する人を失ったり、大きな困難や悩みと直面したりして、いつの間にか大人になった私たちは、誰もが自分の存在や人生の意味を問う瞬間を経験しているはずです。
しかしながら、我々がこの大きな宇宙の中で体験している全ての困難は、この宇宙で既に数えきれないほどの回数起きています。そして、これらの困難を乗り越えたあなたも無数に存在しています。それは、あなたもきっと同じように、目の前の困難を乗り越えて、明るい将来を迎えることができるという可能性を意味しています。もしいつか落ち込んだ時は、夜空を見上げながら、無数に存在している“あなた”の姿を想像してみてください。彼らはきっとあなたの視野を広げ、あなた自身に秘められた無限の可能性を引き出してくれるでしょう。それでは、今日もありがとうございました。
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