この宇宙が “幻” である理由

宇宙奇譚
今回のポイント
  • この世界、この宇宙は、本当に「現実」なのか?
  • この世界は「幻」、もしくは、「仮想現実」なのか?

はじめに

どんな事に関しても、多くを知れば知るほど、疑問も多くなっていきます。宇宙に関しては尚更です。昔の人々は、この世界はなぜこのような状態で存在しているのかを考えてもいなかったですし、世界の全てを当たり前のように受け入れていました。

しかし、人類の知識が豊富になった今日、「この世界は少しおかしくないか?」のように、この現実世界に疑問を感じ始めた人が増えてきています。今回は、私たちが「現実」だと思っているこの世界、この宇宙は、本当に「現実」なのか?この世界は「幻」、もしくは、「仮想現実」なのか?というテーマについて考えていきたいと思います。以前にも似たようなテーマ、「シミュレーション仮説」を動画や投稿にしたことがありますが、今回は別の視点から、宇宙の不気味な現象をレベルごとに分けて、さらに深いところまで見ていきたいと思います。気になる方はぜひ最後までお付き合いくださいね。

不気味レベル1:宇宙の異常な大きさ

今のところ、私たち人類は宇宙の大きさについてまだはっきりと分かってはいません。この地球から脱出できない私たちにとって、宇宙の大きさは無限大に等しいと言っても良いでしょう。おかしなことに、この宇宙における物体の運動速度には、なぜか上限があります。それは、光速である毎秒約30万kmです。しかし、このとんでもない速度で移動したとしても、私たちがいる天の川銀河を端から端まで通り抜けるのに、約18万年かかるのです。

そして、観測可能な宇宙の大きさは直径930億光年の球体です。つまり、光速でこの球体の端から端まで通り抜けるのに、930億年も必要です。しかしこれは、あくまでも観測可能な宇宙のサイズを指標にしたものです。観測可能な宇宙の外にはどのくらいの空間が広がっているのかは未知数です。

宇宙には”果て”がないということはおかしなことではない

このことから、宇宙には“果て”があるのか?という疑問を持つ科学者が多くいます。“果て”がないということは、決しておかしなことではありません。私たちがいるこの地球は、“果て”がないとも言えます。地球の体積と面積は有限ですが、空を飛ぶことを除いて、地表で移動する時には、いわゆる「ここが地球の“果て”だ」という意味の“果て”は存在していません。ですので、宇宙の中に存在している物にとっても、宇宙には“果て”が存在しない可能性があります。

宇宙の外には別の宇宙が存在してるのか?

もし、宇宙も地球のように、果てはないが、そのサイズが有限である場合、宇宙空間の外は何なのか?宇宙の外にはまた別の宇宙が存在しているのであれば、そのような宇宙はどれほど存在しているのか?という疑問が出てきます。逆に、宇宙には“果て”がなく、そのサイズも無限であれば、なぜ無限大の空間は存在可能なのか?そのような存在の本質は何なのか?という疑問が出てきます。

この宇宙はまるで私たちを閉じ込めるための存在である

いずれにしても、宇宙の大きさは私たち人類にとっては異常です。移動速度の上限である光速で動いたとしても、宇宙スケールから見れば、ほぼ足踏みをしていることに等しいことになります。さらにその上、宇宙空間は膨張し続けています。その膨張する速度は、光速を超えることもあります。無限大である空間の中に、光速という移動速度の上限に縛られている私たち、さらに空間の膨張する速度は光速を超えている。これらの不思議な点を並べた時に、ふとこう思います。この宇宙はまるで私たちを閉じ込めるための存在である。

不気味レベル2:宇宙は空っぽ

よく目にする地球と月の映像
太陽系にある8つの惑星はすべて地球と月の間に入る

宇宙は異常な大きさを持つ以外、その中身は異常なほど空っぽです。このような地球と月の映像はよく目にすると思いますが、これは実際の地球と月の距離を表現したものではありません。本当の距離は、このようになっています。太陽系にある8つの惑星は全部、地球と月の間に入ることができます。

これを見れば、太陽系の空間はどれほど空いているのかは伝わると思いますが、実際のところ、太陽系はそれ以上に空っぽなのです。まず、このオレンジの枠は、水星、金星、地球と火星が公転している「内太陽系」という領域を示しています。この紫の枠は、残りの4つの惑星が公転している「外太陽系」という領域を示しています。太陽系に存在するほとんどの物質が、この2つの領域内に存在しています。しかし、これらの領域が存在している空間はこのように、太陽系のごく僅かな部分しか占めていません。つまり、太陽系のほとんどの空間は空っぽなのです。

空っぽな天の川銀河

さらにスケールを拡大して天の川銀河を見てみると、250立方光年ごと存在する恒星の数はたったの1個だけです。これがどれほどの空っぽさかというと、地球程度の巨大な空間に入っている物質の量が、サッカーボール1個分だけ存在することと同じレベルになります。

さらに銀河系の外においては、何の物質もない空間は数百万光年のスケールで存在しています。これを考慮して宇宙の密度を計算すると、1立方メートルの空間に含まれる物質の量は、陽子6個ほどしか存在しないことになります。もう少しわかりやすく表現すると、地球程度の空間に入っている物質が、砂1粒だけということになります。

これで宇宙空間がどれほど空いているかを理解していただいたと思いますが、実は宇宙空間だけではなく、私たち一人ひとりを含む全ての物質自体も、ほぼ空っぽと言っても過言ではありません。

原子の大きさを陸上競技場とした場合、原子核は蟻一匹、電子上空で浮かんでいるほこりに相当するサイズ感

それはどういうことかと言うと、物質を構成している基本要素である原子は、原子核と電子で構成されています。原子の直径は、原子核の直径の10万倍ほどもあります。このサイズ感は、原子の大きさを陸上競技場とした場合、原子核のサイズはその中にいる一匹の蟻、電子はその上空で浮かんでいるほこりに相当します。

つまり、原子はほぼ何も入っていない空っぽの物です。もし原子の中の何もない空間を取り除いて、原子核と電子だけにするとしたら、世界人口の80億人を角砂糖の1つのサイズにまとめることができます。

原子を構成する要素

しかし、その原子核はまだ物質の最小単位ではありません。原子核は陽子と中性子で構成されており、原子核をサッカー場のサイズだと仮定すると、陽子と中性子は一匹の蟻のようなサイズ感となります。つまり、原子核もほぼ空っぽなのです。さらに言えば、陽子と中性子ももっと小さい要素で構成されています。このように、構成物を限りなく分割し、最後の要素まで見ていくと、全ての物質は、相当空っぽであることがわかります。私たちが思う「実在している」物質は、「実在していない」と言っても良いくらい空っぽなのです。

不気味レベル3:宇宙は断続的

1つ1つのピクセルで構成されるスクリーン

物質の本質をさらに深く見ていくと、さらにおかしな事実にたどり着きます。それは、「物質は断続的」ということです。どういうことかと言うと、パソコンやテレビなどのスクリーンに映っている映像は、滑らかで連続的に見えますよね。しかし、それを拡大して見てみると、スクリーンに映っている映像は、1つ1つの小さなピクセルで構成されています。これらのピクセルを見ると、スクリーンに映っている映像は、連続性のない存在、つまり断続的な存在であることが分かります。

このような「断続性」は、スクリーンに映っている映像だけではなく、現実世界に存在する物においても見られます。例えば、私たち自身1つの連続性のある物に見えますが、実際の所は先ほどお話したように、私たちの体は分子や原子で構成されており、原子はまた原子核と電子で構成されており、原子核はまたさらに小さい要素で構成されています。私たちの体はこれらの小さい要素が“くっつく”ことによってできたもので、それぞれの小さい要素は単独の存在であるため、私たちの体もパソコンのスクリーンにある映像と同じく、断続的な存在と言えます。

そして、このような断続性は物質だけではなく、エネルギー、時間、空間においても存在しています。これらの宇宙を構成する基本要素は全て断続的であることから、この宇宙も本質的に言えば、スクリーンに映っている映像と同じく、断続的な存在という事になります。

不気味レベル4:宇宙は投影された幻影?

先ほどご紹介した宇宙の全てのものに存在している「断続性」は、0と1の二進法でできたデジタルデータの性質とよく似ています。これはただの偶然なのか?それとも、この世界はデジタルでできた仮想現実なのか?

現段階の研究結果から見れば、真実は後者である可能性が高くなります。なぜそう言えるのかは、まずは物質に含まれている「情報」という話から説明していきます。

身体を構成する器官や骨の在り方なども情報として捉えられる

物質には様々な情報が含まれています。例えば、物体で言えば大きさ、色、成分、人間で言えば一人ひとりの外観、体内にある様々な器官や骨の在り方など、それらは全て情報です。これらの情報は根本的に言えば、分子や原子の種類と配列で決定されています。物理学における一般的な認識では、物質に含まれているこれらの情報は消失しません。仮に物自体が消滅したとしても、高度な記録技術と復元技術さえあれば、その物に含まれていた情報を復元することができます。

理論物理学者のヘーラルト・トホーフトの研究によると、何でも吸い込んでしまうブラックホールでさえ、物質に含まれている情報を消すことができないという事です。

「事象の地平面」に保存されるAさんの情報

仮にAさんがブラックホールに吸い込まれたとします。ヘーラルト教授の理論によると、Aさんに含まれている情報は、ブラックホールの二次元の表面である「事象の地平面」に保存されます。この時、ブラックホールの外にいる人がその中を観察できる技術があれば、「情報」として存在しているAさんを発見することができます。

言い方を換えれば、Aさんはブラックホールの二次元の表面に投影されたということになります。現段階の一般常識では、ブラックホールに吸い込まれたあと、Aさんはそのとてつもない強い重力によって素粒子にまで分解されます。しかし、Aさんの全ての情報がブラックホールの表面に投影されたなら、Aさんは事実上、情報として生き続けているのではないかという発想ができます。

物の本当の姿は情報であり、それらを表現する三次元の姿は、情報による投影である

更に飛躍すれば、同じようなことがこの宇宙全体にも起きている可能性が考えられます。つまり、この宇宙の中に存在している全ての物に含まれる情報は、「宇宙の地平面」に投影されているということです。さらに頭を柔らかくして発想を広げると、物の本当の姿は情報であり、それらを表現する三次元の姿は、情報による投影である、という可能性も考えられます。このように考えてみると、なぜ宇宙における全ての物は断続性を持っているのかについての説明も付きます。

不気味レベル5:人間の五感

私たちが周りの環境を感じ取る手段は、聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚の五感です。眼球が感じ取った光を電気信号に変換して脳に送ることで、私たちは物を見ることができます。耳の中の鼓膜が感じ取った空気の振動を電気信号に変換して脳に送ることで、私たちは音を聞くことができます。同じく、触覚、味覚と嗅覚も、その本質は脳が受信した電気信号です。

科学技術が今よりも高度に発達した未来では、人から脳を取り出し、培養液中で飼育し、その脳を信号発生器に繋ぎ、特定の電気刺激によって五感が感じ取る、本当の現実と変わらない仮想現実を、その培養液の中の脳において生み出すことができるかも知れない。

「水槽の脳」という思考実験

ある哲学者によって提唱されたこの「水槽の脳」という思考実験は、意識とは何か、現実とは何か、といった問題を議論する際によく使用されています。

真実の目
真実の目

しかし僕が思うには、この思考実験は1つのヒントを私たちに与えてくれました。それは、この世界の本質は「情報」である、ということです。五感は感じ取ったものを電気信号に変換して脳に送りますが、これらの電気信号の本質は、情報です。これと先ほどお話しした「宇宙は投影された幻影」とどんな関係があるのかというと、仮に私たちの本当の姿が見えている三次元の存在ではなく、二次元の平面に保存されている「情報」だとしても、情報を受信することで全てを感じ取る私たちには、あらゆるリアルの世界を見ることができます。

つまり、もう一度言うことになりますが、私たちの正体は二次元平面に保存されている情報で、現在の三次元空間にあるこの体とこの三次元空間自体は、情報の投影にすぎないと僕は考えています。

おわりに

 今回ご紹介した5つの不気味さの他に、光速不変、フェルミのパラドックス、量子もつれ、特異点という存在も非常に不気味です。これらについては動画でご紹介していますので、気になる方はチェックしてみてください。

科学技術の発展につれて、更なる衝撃的で常識を覆す事実が必ず出てくると思います。以前の人類は、「この大地が丸いボールなんて、そんなバカなことあるか!」という拒絶反応を示していました。今の私たちはどうでしょうか?「この世界は幻の仮想現実である」と聞いても、以前の人類と似たような拒絶反応を示す人がほとんどだと思います。しかし、真実であればあるほど、それを受け入れがたい場合が多いのも事実です。

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